缶に口
「ユキってなんで髪伸ばしてんの?」
「バンが興味無いこと訊くときって、ヤりたいって顔に書いてあって、そこそこグッとくるよ」
「はは」
ストロングゼロのビターライムの500ミリ缶を、ユキが放り投げる。部屋の隅に適当に押しやられた空き缶の山にぶつかって、空虚なスチール缶のぶつかり合う音がした。
「ヤりたいの?」
俺の相方は即物的で、結論が早い。首の後ろをすっかり隠してしまうほど長いユキの襟足に指を滑り込ませ、俺は眉を下げた。
「あとで酒買ってやるから」
「ジャックダニエル」
「ブラック」
「仕方ないな、いいよ」
ユキが面倒くさそうに、ほつれたシーツの糸くずを弄びながら両脚を開いた。畳んだ煎餅布団に寄りかかっていても、くすんだ壁が背景でも、うだる暑さに畳の草生したような匂いが満ちていても。
ユキは顔だけは綺麗だ。
「俺はユキの顔にグッとくるかな」
「顔がいいでしょ、僕」
「なんでも許される顔してるよ」
「たくさん爪立てといてあげる。後で女に殴られてきなよ」
「面白いから?」
「そうね」
いつだって超然として見える、浮世離れした美貌の男が俺の腕の中でいいようにされること、それが気持ちいいのかといえば、別にそういうわけでもない。
世界に興味のなさそうな、音楽だけを愛しているユキ、そのユキを振り向かせたいのなら音楽を奪うしかない。まだユキに言い寄った誰もそこまでしたことは無いけれど、そうして振り向かせたユキは振り向かせたかったユキとは別人になっているだろう。
だから誰もユキを手に入れることは出来ない。
誰のものにもならない相手とのセックスは、後腐れない。顔が良くて、そこそこに俺の反応を楽しんで、興味がなさそうに果てる、ただの性欲処理以上の感情がないユキとのセックスは、つまり都合がいいのだ。
Tシャツを脱ぎ捨てて、ユキのシャツを剥ぎとる。
「今度はどんな女抱いたの?」
ユキは片耳にイヤホンをして、ラジオを聴き始める。今日の一曲は、と陽気な声が漏れ聞こえる。お気に召す曲ではないようで、ユキはイヤホンをしたまま脱力した。いい曲だったなら、俺は蹴り飛ばされて今日はおしまいだっただろう。
「頭も股もユルめのK大生」
「へえ」
曲よりは俺の話が興味を引いたらしい。ユキがイヤホンを外す。
「お前の指が好きだって言ってひたすら手マンさせてきた女捨てたの?面白かったのに」
「あー…なんか好きなら汚いもん触らせんなよって思っちゃって」
ユキに寄り添って横たわり、白い肌にぽつんと立つ胸の突起を舐めながら、ユキの下着に手を突っ込んだ。とたんにユキが笑い出す。
「僕のはいいんだ」
「お前は俺のこと好きじゃないからね」
「そうね」
言いながら、ユキの頭が頭突きのように近づいてきて噛み付かれた。唇を噛みちぎりそうな勢いは一瞬で、すぐ体を離して布団に戻ったユキのやる気のない舌を追いかけて唇を合わせる。
自分のをしごいてそこそこに濡れた手で、俺はそこそこにユキの孔をほぐした。
ユキは興味を失ったのか、またラジオを聴き始める。ぐい、と肩を引いて身を起こさせたら、音楽プレーヤーからイヤホンが抜けた。
『続いての曲はイギリスのロックンロールを牽引する──』
MCのいやに明るい声が部屋に響く。ユキ嫌いそう。なんでこんな番組聞いてんだ。案の定、ユキは俺の手を逃れて、煎餅布団に体を戻した。
「煽りがいちいち下手。ロックって率いるものなの」
うざったそうに言いながらも、ユキの口角は少し上がった。
「曲のセレクトは悪くない」
すぐさま爆音、シャウト。ユキの体温が上がっていくのが、繋がった部分でわかる。ユキの口から息が漏れ出した。
ご丁寧にリズムに合わせて腰を振ってしまうユキのみじめっぽさが好きで、ユキを犯しているような気さえする。俺も同じく音楽のリズムに体を委ねてユキを貪る。ユキは今、俺を通して、音楽とセックスしている。
ユキと俺では見えている世界が違う。
律動の中で、ライブハウスを幻視する。
ユキに血が通うのは、音楽の中にいる時だけだ。
ユキの体がしなり、ギターのわかりやすい昂りを追いかけたキーボードががなるように打ち鳴らされて、その最高潮でユキの喉から頼りない叫び。
「うぁ……っあぁ」
「っ、く……はぁ」
ユキの股間からはなにも迸ってはいなかったが、ユキは満足そうに体をびくつかせながら、俺の吐精を受け止めた。
「あ……ごめん、中に出した」
果てた自身を引き抜いて、ユキの腹に擦り付ける。ユキは音楽に夢中になって、全身から喜びを発散しているようだった。おそらく俺の声は届いていないだろう。曲の音量がやや絞られて、MCが話し始めた途端、ユキはぶつんとラジオを切った。
「は……あー、あの曲、あんま好きじゃないな」
「の割に乗ってた」
「バンがね。僕がじゃないよ」
ユキが手を伸ばしたので起こしてやろうと手を掴んだら、不満げな表情。ユキの視線が冷蔵庫に向く。
「……はいはい」
ユキの手を離して、冷蔵庫からスカイウォッカを取り出す。栓を抜いて一口煽ってからユキに渡すと、ユキも同じように瓶に口をつけて飲んだ。
汗ばんだ白い喉が、俺の唾液ごと、ごくごくとアルコールを飲み下す。
立ち上がって蛇口を捻り、水道から水を飲んでいると、ユキがまたなにかして欲しそうに俺を見ている。
「喉渇いてんなら、自分で飲みに来れば」
「バンが中に出すから、立ちたくない」
「悪かったよ」
コップは昼間ユキがコーヒーを飲んでから洗っていないらしい。流しに転がされたコップに水を汲むのも躊躇われて、口に水を含んで水道を離れる。
畳んだ布団にもたれて仰向けになっている白いからだを、閉じ込めるように跨いで、両手で顎を上向かせる。
ユキの目に感情はない。不思議そうにとも、当然だと満足そうにともとれる眼差しを受けながら、俺はユキの唇に自分の唇を合わせた。
ユキの喉がゆっくりと、俺の口から与えられた水を嚥下する。
シャワーを浴びたくて、俺はユキの上から退いた。
夢を見た。
裸のユキが隣に寝ていて、俺は携帯でRe:valeの名前を検索している。ホームページよりファンサイトが上位に出てきて、しかも俺とユキがカップルみたいな話だったから笑えた。そんなクソどうでもいいことを妄想して楽しいんだな、と、いつの間にか俺の携帯を覗き込んでいたユキが言った。
おまえにとって俺って何?思わず、めんどくさい女みたいな質問を、夢の中の俺はしていた。
そうね、といつもの興味のなさそうな相槌を挟んで、ユキがこともなげに言う。
「バンはお酒買ってきてくれるから好きだよ」
だろうね。
思っていた通りの答えに、夢の中の俺は安心していた。安心と寂しさを同時に覚える脱力感なんて、ユキとつるむようになってから初めて知った。
ユキ、でも俺、お前と髪型同じなんだよね。
ちょっとお前に憧れてんだぜ。
手に入らないお前に焦がれてる女の子たちに、たまに、自分が重なって嫌になるよ。
今日もお前の中に出したけど、バカバカしさしか残んなかった。
俺はお前に投げ捨てられる量産品のストゼロ缶と、あんま変わんないんだろうな。
夢の中で思考していたのか、目を覚ましていたのか、不毛な心のつぶやきと共に、俺は微睡みから覚めた。隣には、尻の後始末もしないで、ユキが寝息を立てている。
行為の前、ユキがつまんでいたシーツの糸くずは、まだしぶとくシーツにしがみついていた。ハサミを持ってくるのも面倒で、指に絡めてぐっと引く。ぶつん、と糸が切れ、持ち上がっていたシーツがゆっくりと下がっていった。手を開くと、人差し指の肉を戒めた糸くずがはらりと落ち、俺の指にふたたび血が通う。ユキが俺と組む動機は、ステージへの執着でも、俺への執着でもない。音楽への執着だ。俺が切り離してしまえば、きっとユキは、重力に従うように、日の当たらない所へ座り込んでしまうだろう。音楽と2人きりの部屋へ。
食事も人との交流も取らないで部屋にこもるユキは容易に想像がついて、俺は苦笑を浮かべながら部屋の窓を開けた。夏ももう終わる、やや熱気をはらみつつ、風が吹き込む。湿った肌に風を受けて、俺は体を震わせた。
滞った血も、糸が切れてしまえば、それを離してしまえば、元のように通い始める。体の中をえんえんと巡って、出口もなく、ただ肉体を動かしている。
俺はユキを好きなんだろうか?たぶん答えは出てこない。肉体、生、そういうもののたしかさを求めて、セックスをしてしまうだけなのかもしれない。
でも本当は、二人で曲を作って、二人で歌っていれば、それだけで、欲しいものは手に入っているような気もする。
「……あつ」
ふと、ユキが熱っぽい声を出し、寝返りを打った。畳のあとが、背中にみっちりと赤くついている。
「さっきまで窓閉まってたからな。シャワー浴びてこいよ」
背中越しに声をかけると、ユキがもぞもぞと起き出して、這うように冷蔵庫の戸に手を伸ばした。
冷蔵庫を開けてやると、ユキは床に寝そべったままで、手探りで目当ての缶を取り出す。先週のユキの女が箱で差し入れてきた、ストロングゼロのビターライムは、まだ無くなりそうにない。
「ん……」
ユキが冷蔵庫の戸に寄りかかって体を起こした。
「まだ飲むのかよ」
工場で缶の中に封じられたアルコールが、ぷしゅりと栓を開けられ、ユキに取り込まれていく。
感情に名前をつける必要は無い。俺もユキも満ち足りている。好きだとか、そういうのは、たぶん考えなくていい。
「飲んでる方が、頭、ユルくなるから」
答えになっているようで、さらなる疑問をうむ答えをぽんと口にのぼらせ、ユキが缶に息を吹き込んだ。ぶぶぶ、と高い音が小さく響く。ユキは瞼を一度おろして、長いまつ毛の先から俺を射るように、薄く目を開いて俺を見た。
「……行かないの?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。ユキが指先で缶を弾く仕草で、行為の前の約束に気づく。
「ああ、ウイスキー。買ってくるよ」
「うん。喉渇いた」
「だから買ってくるって」
ユキはまた不満げに、少し眉を寄せた。ひょっとして。
「あのなあ。して欲しいことがあるなら、言わなきゃ伝わんないぞ」
小言を吐きながら、俺はキッチンに立ち、やっぱり洗われていない流しのコップを見下ろす。
蛇口を捻って、口に水を含んで、また同じ手順で、ユキの喉を潤した。親鳥がしてやるように、ユキに水を与えながら、俺は人差し指に、ユキの銀の髪を絡める。
俺の血は、変わらず出口のないままに、俺の体を巡っている。