mottoわたしのにいさん 

◼️同衾

Shall I stay in you?

 初めて、兄さんの部屋で一緒に寝ることになった。
 実家では、互いの部屋を行き来するようなこともなかった。関係が冷えていた、と言うほどではないが、兄さんは私のことを煙たがっていた。
 こんな風に、風呂上がりに兄さんの部屋を訪ねるのも、兄さんに甘やかして欲しい気持ちを素直に表現できるようになったのも、寮生活になってから。
 兄さんにキスをされたのも、そのキスが心から嬉しかったのも。
「……兄さん。入れてください」
「鍵空いてるから、入っていいぜ」
 こんこんこん、と、中指の背で3度、部屋の扉をノックする。
 数週間前、私にキスをして、驚いた私の涙を拭ってくれた兄さん。
 嫌だった? ごめんな、もう部屋帰れよ。兄さんの拒むような声は、実家にいたころ聞いたものと同じだった。
 違うんです。
 嬉しくて。
 兄さんの手首を掴む手が震えた。
 私が自分から合わせた唇まで震えていたのか、私のキスが、勢い余って前歯どうしの間で唇が潰れるようなものだったせいか。兄さんは仕方なさそうに、私の額を押し戻し、撫でてくれた。
 兄ちゃんのこと、好き?
 その質問への答えなんて、ずっと、ひとつしか持ち合わせていない。
 はい。
 か細くささやく声を聞いて、兄さんがぐっと、目に力を込めた。
 うる、と瞳に回った涙を、兄さんがこぼすことはなく。代わりのようにもう一度キスをしてくれて。
 夢みたいだった。人生初めてのキスを、いちどに3回も、しかもこんなに好きな兄さんとできるなんて。
 あの一瞬で、夢が終わってもいいと思っていた。けれど、今朝、今夜オレの部屋で寝る? と訊かれたとき、その夢が終わっていないことを知ったのだ。
「お風呂、上がりました……」
「おう」
 ドアを押し開けて足を踏み入れた兄さんの部屋は、兄さんの匂いがする。
 この兄さんの匂いでいっぱいになって、今夜眠る。
 ……兄さんは、女性にもてた。きっと私より経験があるだろうから、そのつもりなんじゃないか、と、覚悟はしてきた。
 インターネットで見つけた、男同士の性交渉のやり方を参考に、風呂で何度か自分の尻に指を入れてみたこともある。今日もその例に漏れず、今日はむしろ、念入りに、尻を洗ってさえいた。
 朝から声を掛けてきたんだから、準備をしておいて欲しい、という意味なのかもしれない。その読みはもう、覚悟というより、期待に近かった。
「何してんの? 突っ立ってないで、ほら」
 ベッドに腰かけた兄さんが、テレビを消して微笑む。
「おいで」
「……はい」
 両手を広げて招かれるまま、私は兄さんの部屋のドアを閉める。
 閉めたドアに自分で鍵をかける時、入浴したばかりだというのに、手に汗をかいてしまった。
「あれ。一織、髪、まだ濡れてる。急いで来た?」
「……このくらい、すぐ乾きます」
「だめだろ。兄ちゃんが乾かしてやるよ」
 肩にかけたタオルが湿っていることを見咎めて、兄さんが大きくて愛らしい目を少しだけきつくする。
 私を叱る兄さんの顔なんて、実家にいたころは見なかった。怒って不機嫌な兄さんの顔、私を寄せ付けたがらない顔なら、何度か見たが。
 兄さんの、広げた両足の間の床に腰をおちつけると、ベッドの上から兄さんが、私の肩に手を添える。
 温かくて、体の割に作りの大きな、がっしりとした手。すべすべときれいな、魔法使いの手。
 お菓子作りの上手い兄さんの手を、私は昔、魔法使いの手だと思っていた。
 その手がタオルをとって、がしがしと私の髪をかき混ぜる。
「一織、頭の形きれいだな」
「……兄さんに、たくさん守ってもらったので」
「はは。父さんも母さんも、家の仕事があったから、一織がベッドから落ちないように見張るの、オレの役目だったんだよな」
 兄さんの、低くやわらかな声が、耳の後ろで聞こえる。腕を取られて促されるままにコンセントの近くに移動して、髪に温風を当ててもらう。
 兄さんの丸い指先が、ふわふわと私の頭をやさしく撫でる。
 兄さんの声が聞こえなくなった代わりに、兄さんの優しい指が、手のひらが、私の髪を撫で付けて、温かくて──。
 兄さんの匂いのなかで、兄さんの声を聞いて、兄さんの手に触れられて。幸せだった。
 顔にかかる風に目を閉じていると、幸福感で胸が満たされた。なんだか急にひどく眠たく、ぱちりと目を開けていることが難しくなってくる。
「一織、眠そう。おいで」
 カチッとドライヤー切った兄さんが、布団を上げて、ベッドに私を呼んだ。
 ふらふらとそこに両手をついて、体を収める。
「おやすみ」
 布団越しにぽふぽふと、兄さんの手が私の体をたたく。気づけば兄さんも私の隣で布団に入っていて、部屋の電気はすっかり消えていた。
 はい、と応じられたかもあやしいまま、私の意識は、とろりと暗い闇の向こうに──。
 ……違う!!!
「にっ」
 兄さん、私を抱くんじゃなかったんですか!?

★続きは冊子でお楽しみください。

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