恋をしている
*
風呂上がり、それなりに冷静さを取り戻した頭で、缶ビールを二本手にしてミツの部屋に入ると、ミツは眉を寄せて俺を迎えた。ベッドの上に胡坐をかいて、眉を上げ、少し怒っているようにも見える。
何。怒らせた?
「大和さん、今夜はもう飲まない方がいいんじゃねえの」
「いや、そんな酔ってないって。飲んだの、生中二杯だし」
ベッドを軋ませ、ミツの正面に腰かけた。ミツの声はやはり険がある。世話をかけたし、髪はさすがに乾かしてから来て正解だった。
こんな状態のミツにブローなんて頼んだら、してくれたとしても、それはもうがしがしと乱暴に乾かされるだろう。
「週刊誌に載るような事してないよな」
「はあ? 未成年飲酒とか? 野口さんと二人だって、ラビチャしたろ」
「二人で、あんな、へにゃへにゃ嬉しそうな顔になるまで飲んで、何話してたの」
「何って……仕事とか、そういう話だよ。何、俺、ミツ怒らせるようなことした?」
「別に怒ってないけど」
ミツが俺の手からひったくるように缶ビールを取り、ぷしりとその栓を開けた。缶の上に回り出した白い泡を唇で迎え、喉を鳴らして一気に飲む。缶の半分くらいは飲んでしまっただろう。それから、どん! とちゃぶ台を大きく揺らし、ミツが缶を置いた。
「ごめん!」
おもむろに立ち上がり、急に叫ぶミツを見上げて、俺は瞬きしかできない。
かろうじて質問をひねり出す。
「え、えっと、何が? ミツが怒ってるんじゃないの」
「怒ってる。怒ってるっていうか、イライラして、当たった。だから、ごめん」
ミツが、どすんとベッドに座りなおした。俺の方をきっと振り向く顔は、もう眉が下がって頼りなさげだ。
「オレ、大和さんが飲んでくるって聞いたとき、ちょっともやっとした。そんで、帰ってきた大和さんが楽しそうで、よけいもやもやした。最低だ。嫉妬したんだ」
ミツが話し終え、またビールに手を伸ばす。どうしていいかわからなくて、俺も缶ビールを開けた。
互いにビールを飲む無音の後、口を開く。
「ミツって、独占欲とか、あるんだ……」
「あるよ。オレのことなんだと思ってんだよ」
「なんか、自分のもんでも人にあげちまう感じで、俺のこともあんまり独占したがってくんないなと思ってた」
「そりゃ、大和さんの人生は大和さんのもんだし、みんなにあんたを大好きになってもらいたいって思うけど……あんたが、オレの知らない誰かといて、オレと居る時よりかわいい顔してんのかと思ったら、もやもやする」
ミツの目尻が赤い。恥じらうように唇を尖らせて、ミツがつぶやく。
「あんたの彼氏、オレだもん」
……うわー。
超、……超、恥ずかしそう。
なにこれ。
すげえ、すげえ嬉しいし。ミツが好きでたまんなくなる。
抱きしめたい……。
「花火の時、思ったんだ、あんたのこと、繋ぎとめておきたいって。それも独占欲だよな」
じっとりと潤んでしまう目でミツを見る俺の視線に気づかないのか、ミツは頬をかいて続けた。
「あんた、すぐ手とか離しちまうからさ。させるか! って感じ」
ビールを握り込む手が熱い。もう一口飲むと、冷たかったビールはすでに温くなり始めていた。
「あのチャリの撮影の日、あんたが、オレのことぎゅってして寝ちまったのも、嬉しかったし……オレだって、独り占めしたいし、されたいよ」
「そうなんだ……」
「びっくりするほどのことかよ」
疑い深く眉を寄せて俺を見上げる、じっとりと下がった瞼が愛おしい。ミツはそんなふうに、俺のことを好きなんだな。
「ミツと俺の、愛し方って言うか、大事に仕方? 違うって思ってたから。……やきもち、嬉しい」
「うわー! 改めて言われると恥ずい……!」
ミツが顔を両手で覆って、上半身を怪獣のように大きく揺らす。
「でも」
ミツがつぶやき、指の隙間からこちらを見た。
「オレ、自分がやきもちやきなの、初めて知ったけど。また妬いちまうかも……いい?」
「嫌って言ったら、どうすんの」
「妬いた分だけお詫びにケーキ焼く?」
小首をかしげて告げられた解決策がおかしくて、ミツの手に手を重ね、指を絡める。
「また子どもらが喜びそうな」
「だからってわざと妬かせんのはなしだからな」
「わかってますよ。嫌な思い、させたくないし」
握り込んだ指が、俺の手の甲をかしかしと擦る。くすぐったくて笑うと、ミツも笑った。
ミツを、ミツとの時間を、宝物にしたい。
宝物は、大事に、暗がりにしまいこみたい。日差しに焼けて変色したり、埃を被ったりしないように、箱に入れて。たまに取り出して眺めて、受け取った時の喜びを思い出したい。
ミツはどうなんだろう。
「ミツはさ、大事なものって、しまっとく方?」
「ん? いや、外に飾っとくか、使う! あのキーホルダー、一織とおそろいなんだぜ」
ミツが指さした方には、バッグにさがったぱんだなめこのストラップがあった。頭に茸をはやした奇天烈なぱんだが、イチのかわいいものへの琴線に触れるかはさておき、ミツとのおそろいにはイチも喜んだだろう。ぱんだが和装だから、おそらく脱出ゲームの時のものだ。ミツが続ける。
「宝物は、明るいとこに出しときたい」
「そっか」
「でも、たまに取りだして眺めるのもいいよな。陸がファンレター、お菓子の缶にしまってるみたいにさ」
「ミツにも、しまっときたいもん、あんの」
「あるよ。目に見える方が、幸せーっていつも実感するけどさ。大事にしまってあるってことを覚えてられるのも、幸せだから。大和さんの寝顔の写真は見せびらかすけど、……この前のロケで預かったおつり、あんたが返さなくていいとか言うから、ジップロックに入れてしまってあるんだぜ」
返させろよな、とミツが照れたように俺の腕に頭をぶつけてきた。そのまま、ミツはベッドに倒れてしまう。
俺は逆に、ビールを置こうとちゃぶ台に腕を伸ばした後で、そのまま両肘を膝について、背中を丸めた。
「嬉しい……」
呟くと、ミツが意外そうに裾を引いてきた。
「怒られんのが?」
「じゃなくて」
ミツの手に手を重ねる。
「俺って、ミツに愛されてんだなって、なんか証明してもらったみたいで……」
指を絡めると、ミツが握り返して、手を揺らした。手は繋いだままで、起き上がって胡坐をかきなおす。
「あんた、よく、証明って言うよな」
「そう?」
「いや、なんか、付き合い出してから、オレがあんたを離さないって証明して、とかよく言われる気がしてさ」
「あー……まあ、言ってるかも。ミツに抱かれんのも、なんか、そんな気持ち」
「そんな気持ち?」
「俺がミツのことそんだけ好きだって信じてよ、みたいな」
「……うん。もう、疑わない」
「俺も、疑おうなんて思えないくらい、好きだって、言うよ」
「うん。オレも、あんまり好き好き言うとあんたが嫌がるかと思ってたけど、たくさん言う」
ミツが、ベッドに胡坐をかいたまま、腕を伸ばして、ちゃぶ台のビールを取る。ミツの缶はプルタブをくっきりと起こされて、今にももげそうになっている。
「あんたが望むなら、証明、いくらだってするよ。オレは、オレがあんたを好きだから、オレのためにあんたの願いをかなえたい」
「俺のためじゃないんだ」
「うん。オレのため。大和さんが嫌がることしたくないのも、大和さんがして欲しいことしてやりたいのも。オレが、あんたの嬉しい顔が見たいからだよ」
ミツが微笑んで、缶ビールを煽った。もう中身は空になってしまったのか、床に置かれた缶から、コン、と高い音が鳴った。
怖いものが怖くなくなる瞬間は、その恐怖の対象の正体を知るときだ。
ミツの人生にあったはずの幸福が俺のせいでなくなるのも、ミツに嫌われるのも怖かった。ミツが望んでいるとおりの俺じゃないと、ミツが望まない関係が俺との間に敷かれると気取られたら。終わらされてしまうのが怖かった。
でも、今日、いま、怖いものなんてなくなった。
ミツは、俺を、俺のままで、ミツ自身のために愛している。
俺は、ミツが望む恋人同士になれる。
「ミツ」
缶ビールを煽る。最後の一口を飲みきって、ミツの手から空き缶を受け取った。
二つの空き缶を並べて立ち上がる。
床の上で、一緒くたに踏みしめた空き缶がつぶれる。靴下の下で、同じ形につぶれた缶を拾い上げ、俺はミツの額に唇を近づけた。
「あとで、部屋来て。今夜は、一緒にいたい」
ミツが唇を舐める。ちょい、と指で俺を招いた。
招かれるままに膝をつき、ベッドの上のミツに顔を近づける。
「うん。好きだよ、大和さん」
ミツの睫毛が下りていく。薄く開いた視線の中に捉えられながら、腕に感じるミツの手の熱を喜んだ。
もう俺はミツの腕から離されない。
唇が重なった。
捕まえててほしい、一緒にいたい。そのすべての欲をぶつけても、ミツはきっと応えてくれる。
夢中で舌を合わせながら、こぼれそうな涙を、必死にこらえた。