HONEY×DARLING

◼️うさぎの巣 《オメガバース 三月(α)×大和(後天性Ω)》

 欲しい。
 欲しい。
 欲しくてたまらない。
「ぁ……ミツ……」
 手にしたシャツに顔を埋めて、靴下に、インナーに、下着に、パーカーに、次から次へ手を伸ばして抱き寄せる。
 こんなこと、しちゃいけないのに。本能は、勝手に禁忌に身を落とす。禁断の果実を前に、欲に負けたアダムとイブを、俺は笑うことが出来ない。
 かき抱いた衣類には、愛しい相手の姿が重なるようで。切ない蜜を、後ろが零した。
 早く帰ってきて。会いたい。うなじ噛んで。舐めて。擦って。触って。みつ、ミツ。
 ミツ。
 口に溜まった唾液とともに、喉から、か細い声が漏れ落ちる。
「んぁ……はぁ……ぁあ……んぅ」
 鼻先をシャツに押し付け、息を吸った。
 鼻腔に、胸に、いっぱいにその匂いを吸い上げて、体を満たして、湿った温かい吐息をその服の巣の中に籠らせて。
 ああ。
 ミツでいっぱいになる……♡
 だけど、二酸化炭素の濃くなっていくその場所で、視界を暗く翳らせながら。俺は知っていた。
 これは、夢なのだと。

*

「……うあ……」
 寝起き特有の喉に絡んだ声の後、一つ咳をする。程よく重たく暖かい布団の中で、自分の性別を否応なく感じさせる感触を尻に覚えて、顔を顰めた。誰か起こしに来る前でよかった。
「洗濯回すか……」
 三ヶ月に一度、Ωに訪れる発情期。その直前にみる、定番の夢。
 付き合っている相手の服をかきあつめて「巣作り」をして、みっともなく泣いて喘いでケツ愛液まみれにして服に胸擦り付けて、恋人の帰りを切なく待つ……。恋人の名前まで出てくるようになったのは、今回が二度目だ。ミツと付き合いだしてから二度目の発情期。
 そんな夢を見る原因はわかっている。
 俺は、巣作りをしたことが無い。
 それなのに、巣作りに、ずっと──。
「あー、クソ」
 αの父親とΩの母親の間に生まれて、βだと思って生きてきたらハタチで突然Ωになった。
 それが俺、二階堂大和と第二の性の系譜だ。
 高校を出て一人暮らしはしたものの、それまでの母親との暮らしの中で、Ωの実態はかなり詳しく知っていた。
 中でも、いちばん古い記憶は、小学生のとき。廊下にいくつも落ちた父親の足袋や帯が、母親の部屋に続いていて。その先で聴こえるのは、身勝手な父親の服をかきあつめて淫らに泣く母親の声。
 もっとも、当時はそれがなんのことだか分からず、母親の涙の意味を知ったのは中学でバース性の授業を受けた時だが。
 とんでもない原体験をさせられたもんだと思う。こうして、俺の性の関心の出発点は、強制的にΩの巣作りに決定された。
 βだった頃は、まあΩなんて俺には関係ない奴らだし、あんな風に切なく泣いて求められても重いし、ΩもののAVなんて見ようものなら母親の顔がチラつくしで、Ωで抜いたことは無かった。だから巣作りのことなんて、記憶の片隅に追いやっていたのだが……。
「ケツきもちわる……」
 Ωになって分かった。その強烈な性への欲求、本能の恐ろしさが。
 ミツの匂いのするものが、欲しい。ほかの何に替えても。もし、お前の腕を落とす代わりにミツの帽子をくれてやる、と言われたら、迷わず差し出してしまうだろう。
 巣作り、したい。
 ミツの匂いに囲まれて、ミツにまみれて、ミツのために後ろを濡らして、ミツの精子で孕みたい。
 と、体は求めてしまうけど……。
 俺は、クソみたいな欲求に振り回されたくない。
 ミツに、体目当てだなんて思われたら──。
 ベッドから裸足を下ろすと肌寒い。冷たい尻のあたりの生地を肌につけないように、ひょこひょこと尻を振って歩く。
「もう冬だなー……」
 衣装ケースからワイシャツを引き出して、なんとなく広げてみる。
 ミツのものより大きくて、当然、ミツの匂いはしない。
 ミツ。俺の恋人。誰の目も引いてしまう、キラキラと輝く、α。
 父親が、αの「妻」とヤるより具合が良かったんだろうなんて思っていたささくれた少年時代に、多少Ωの事情は調べていた。じゃあ俺もまかり間違えば男に抱かれんのか、ウエ、薬飲んどこ……そんな軽い考えのまま事務所と契約したら、あれよあれよと寮生活が始まり、そこで、俺は出会ってしまった。
 たぶん、『運命の番』。
 そいつとは、お互い何となく惹かれてしまうことを察しながらも上手く距離をとっていたのに、結局は殴られて出ていくような大喧嘩をした。
 打ち明け話ついでにとうとう告げた俺の性を、やっぱりそいつはとっくに知っていた。だから俺が誰かに妙な目に遭わされないよう、飲み会やら帰り道やらにいつも着いてきていたらしい。
 あんたのこと力ずくでどうこうするつもりないから、安心して。殴ってごめん。と鉄拳制裁を謝られた。
 そのあと、ほっと安堵して肩の力を抜いた途端、有り得ない衝動が体を貫いた。
 どっと打つ心音の強さによろめいた瞬間、押し寄せるような痛烈な匂いに膝の力が抜けて、立っていられなくなった。
 早く部屋に帰れと、ミツは自分の腕を噛みながら俺に告げた。発情しきった、獣の目つきで。
 オレンジ色の瞳、ふだんはギュッとせまい瞳孔が、まるく開いて、俺を捕える。ミツのパーカーの下で、それが、形を持っているのがわかった。
 抱いて欲しい、ちゃんとお前を好きだから。告白したのは、俺からだった。
「誰も起きてない……」
 時計を見ると4時だった。みんな、深夜帯の仕事や早朝の仕事はなかったはずだ、起き出してくるのは6時頃だろう。ミツだけは、ゆうべ飲み会に行って会っていないから、朝帰りするのかもしれない。
 洗面所の鏡の前で、シャツの後ろ襟に手をかけてぐっと上に引く。頭の後ろで交差した両腕は、まるでうなじを守ろうとしているみたいだった。
「ふ……」
 守るも何も。ミツは初めての夜、ここを噛んでくれた。人生全部で守ると言って。αの多い芸能界、ミツの判断は正しい。番のいるΩは、他のαを誘わない。
 初めての告白の夜に抱かれたがるなんて。
 ミツはたぶん俺のことを、ビッチだと思ってるんだろうな……。
「はー、飯食って部屋籠るか……、っ、あ」
 リビングへ移動したことを、すぐに後悔した。
 ミツがきのう座っていたからか、ソファにかすかに匂いが残っている。
「……っ、は……こんな……ちょっとの、匂いで……っ、ぅ」
 疼く胸に指を突き立てて、心臓を引きずり出して。
 今だけこの胸を止めてしまえたらどんなにいいか。
 俺の意思に関係なく襲い来る発情期なんて、いいことはひとつもない。
「……っ、部屋、戻ん、なきゃ。誰か起きる……」
 立ち上がろうとすると、かくんと膝が折れた。力が入らない。それなのに、体が熱い。
 ミツに抱いてもらえばヒートが早く終わることがわかってから、抑制剤は飲んでいない。ただ、ミツに抱いて貰えるまで、この熱は収まらない。
 どんなふうにみだらに脚を開いて誘って、我慢の利かなくなった顔で俺を睨むように見上げる必死なミツを、どう抱き寄せて口付けるか……。そんな空想で頭をいっぱいにして、ミツの帰りを待っているしか……。
「ぁ……は、ぁ……」
 ぞくぞくと体の芯が疼いて止まらない。口を開けば、熱い吐息ばかりが溢れ出る。
 欲しい。ミツ。どこにいんの。帰ってくる?ミツの匂い……ミツ、会いたい……会って、抱きしめて、ミツのでぐちゃぐちゃに掻き回して、奥の奥にミツのでキスして……。
開いた口から唾液が垂れて、それでも拭おうとは思わない。とめどなく溢れ出てくる後ろの蜜で、どうせ身体中汁みずくだ。
 ふらふらと、足が向くままに寮内を歩く。どうせ誰もいない、オーバーサイズのYシャツだけを身にまとい、いかにも教育に悪い、淫らな売女のΩといった風体。
たどりついたのは、洗濯機の前だった。
「ぁ……こんな、ダメだって……」
 洗濯機に無造作に投げ込んであったのは、ミツのシャツ。ミツの靴下。ミツのタオル。ミツのパーカー。ミツの下着、ミツのミツのミツの。
 洗濯ネットの中に見え隠れするいくつもの見慣れた衣類に、自然と手が伸びた。
「ダメ……だって……」
 震える指が、洗濯ネットのジッパーを下ろしていく音。ぢいい、とその封を開けると、むっとミツの匂いが濃くなった。
 ダメ、なのに……!

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