HONEY×DARLING

◼️いくじなしのラブソング 《オーパスセブン》

 勢い任せだった。キスして、触りあって、あれは酔っていたせいで起きた事故だと言い逃れて。ダメだってと言えばよかったのに、高揚のままに唇を三回はんだことを、無かったことにした。
 その日のことを、ずっと、後悔している。
「新曲の歌割りさあ、これ、誰が決めたの」
 海の匂いをはらんだ風にさらわれないよう、今日のコンテを荷物に押し込んで、ため息をつく。
 隣でコンテを確認していたミツが、口紅でツヤっぽく整えられた唇を、軽く尖らせた。
「ん? マネージャーか、作詞家さんか……オレたち以外の誰かだろ?」
「あー……。……ミツも歌うんだよな……?」
「はあ? 何当たり前のこと言ってんの。つーか、そのロケに海まで来てるんだろうが」
「う……おっしゃる通りです」
 サンセットビーチ、と言うには少し肌寒い、七月の夕方の海に、白いシャツで立つ。八月四日にリリースする新曲のシングルのB面には、恋愛っぽいテーマの曲が用意されていた。
 夏で、海で、恋なんて、まあベタな曲は、自分たちの名前では発表できなかった、デビュー曲を思い出させる。
 誰もが傷ついて苦しんだあのとき。でもその曲も、一つの絆になった。
 誰も逃げなかった。踏み出して歌った。サウンドシップで、夏の島音楽祭で。いくつもの勇気が、俺たちにあの曲をまた歌わせた。そして今、二度目の夏の恋の歌を、俺たちは歌う。
 ……けど。
「んで、夕陽が出るまでちょっと待ちでーっつって、いま休憩してんじゃん」
「そうなんだけどさ……」
 一つだけ、気がかりな部分があった。
「なに、歌詞、苦手?」
「いい歌詞だよ、曲調もこれまでになくて、好きだけど……苦手っていうか……かわいくない?」
「何が?」
「振り付けとか、俺のパート……」
「えー? どっちかっていうとかっこいい系じゃね? 油断しないでいてってとこ、すげえいいじゃん。オレがこっちも歌いたいくらいだぜ」
「や、その前よ」
「いくじなし?」
「……女々しいっつーか……いくじなしの自分に刺さるっつーか……」
「うじうじしてんなー。さっきサビ前のパートノリノリで踊ってたじゃん」
「ナギとソウも歌ってるパートだから、気合入れてただけだって」
「んー……わかった。マネージャー!」
 突然ミツが大声で、事務所のバンのそばに立つマネージャーへ声をかける。小さな人影の、クリーム色の淡い髪がふわりとなびいて、俺たちの方を向いた。バンに飲み物を取りに行った五人も、チラリと車内から顔を出す。
「え? ミツ……」
「オレと大和さん、ちょっとコンビニ行ってきていいー? 日焼け止め目に入った! 洗ってくるー!」
 心配そうにおろおろする間があって、マネージャーが、両手で大きく丸を作る。ミツも同じくマルを返して、俺に向き直った。
「ってことで。やってみようぜ。いくじなし」
「ええー……。じゃあ今の、何、みんな嘘をごめんのとこ?」
「そ! で、二人で、こっそり抜け出すって流れ。あの辺の岩場でいいかな」
 白いスニーカーが先に立って、日差しに白く染まった砂浜を歩いていく。ミツは指揮でもするように、手をゆるく振りながら告げた。
 ほら、役入って。大和さんはオレと付き合ってるってことで、オレと今日手繋ぐぞあわよくばキスするぞって決めて撮影に来てんだよ。
 ミツの言葉が潮風に乗って、耳をすり抜けていく。歌詞の通りに崩れた髪を手のひらでかきあげ、ミツがニヤリと笑いかけてきた。
「前に、ダンビの振り付けアドバイスしてもらったから。今日はオレの番!」
 言いながら、右手でスマホを持つミツは、多分マネージャーになにかフォローのラビチャを入れているんだろう。
「……わかった。ミツは、俺と付き合ってる……もしくは、ちょっといいかなってくらいで、今日、俺と一緒に撮影を抜け出してる。悪いやつだな」
「悪いこと一緒にすんのって、ドキドキするだろ?」
 くすくすと余裕ありげに笑ってみせるのは、ミツがすでに、いま告げた役を演じているからか。
「……意外だったわ」
 胸のどこかが、違う何かを期待して疼くのを、押さえ込んで呟く。海の方を見て、少し、気まずい顔を作って。
「何が?」
ミツが尋ねた。ざざ、と波が寄せて、引いていく音。
「や……。仕事の休憩中にさ。なんか、テキトーな理由ぶっこいて、付き合ってる奴と抜け出すとか……そういうこと、ミツは、しないと思ってたから……」
 また波が打つ。落ちかけている日に、かすかに雲が被った。
「ウソ、つくよ。……あんたといたいから」
 翳りの中で、告げられる声。海を向いてしまったせいで、表情は見えない。
 振り向きたい。振り向きたくない。……振り向いて、ばーか、冗談だよと笑われたくない。期待は期待のままにしていたほうが、きっと……。
「……日、落ちそう。そろそろ撮影始まるかな。戻ろっか」
「待っ」
 思わず手を伸ばして。
 水色からオレンジへ変わっていく夕日を受けた、ミツの瞳が、俺を捉える。
 ちゅるんと潤んで輝く大きな眼に、射抜かれるようで、手を止めた。
「あ……」
「……戻んねーの?」
 じれたような声。かえって誘っているみたいにも聞こえる。
 またかよ。逃げんな、いくじなし。ミツの声が聞こえた気がする。
 そういう映画のセットみたいに、耳の後ろで、海の音がする。風が吹き付けて、ミツの髪をまた乱した。
 ミツが小さく吐息して、目を伏せながら、横髪に触れる。その手首を取った。
 ぐっと顔を近づけて。
 唇が、触れそうな距離で。
 パチリと目が合う。
「あっ……」

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