第三軌条の果てに逃がすよ


 和モダンをコンセプトにした寝室には、聞いた通り、すでにベッドが用意されていた。ふかふかと空気を含んで膨らんだクイーンサイズのベッドが二つ、ぴったり隣に置いてある。
「うわー! すげえ、フカフカ!」
「タマあたりはためらいなく飛び込むだろうな」
「ナギもそうだろうなー」
なんて話をした矢先、三月は大和の背中に飛びついて、大和ごとベッドにダイブした。
「うおわ! バカ、危な……」
 もつれあう二人の体を、ベッドのスプリングは一度宙に投げ返してから、受け止めた。
「あはは! めっちゃ弾んだ!」
 大和が体を転がして三月の下から抜けると、三月は顔をあげて破顔した。勢いをつけすぎた三月の鼻は、大和の背骨に当たったらしく、少し赤くなっている。
「はは……」
 三月の笑い声がだんだんと小さくなり、部屋に静寂が訪れる。窓の向こうには風呂がある、さらさらと湯の湧く音が聞こえてきた。
大和は三月から視線を外し、天井を見上げた。
「二人きりだな」
 隣のベッドに転がっていきながら、三月が応える。
「うん」
食事は、廊下を隔てた反対の和室に運ばれるらしい。普段は二組の客を入れる離れを一組で使うためか、食事やデザートを運び込まれるのは反対側の部屋で、旅館の従業員と鉢合わせることはない。芸能人二人の来訪ということは知れているのだろうが、浮足立った空気も感じられない。旅館の気遣いに感謝しながら、二人はそれぞれのベッドに大の字になった。
「で、何するんだっけ」
 三月はごろんとうつぶせになって肘をつき、頬を両手に載せた。わざとらしい質問に、あえて大和もとぼけてみせる。
「えっと、風呂?」
「風呂しかやることないって、すげえよな」
食事の支度や皿洗いの必要がないことが、こんなにも時間を持て余させるなんて。
「行くか」
 先に三月がベッドに膝立ちになり、パーカーをまくり上げる。タンクトップの両脇があらわになり、つづいて、服の下から顔がのぞいた。感情を推し量れない、静謐な表情で、三月が衣類を脱ぎ捨てる。知らず、大和は喉を鳴らしていた。
「……見すぎ」
 タンクトップを足元に落とし、上半身裸になった三月が、大和に近づいて、頬に指を這わせる。ベッドの軋む音、掛け布団の凹む音に、大和ははっと我に返った。仰向けの大和の腹部に跨って、三月が愉しげな色を目の端に滲ませる。
「今日、楽しみにしてたもんな。朝もゆっくり寝られるって」
片手で顎を掬いあげられ、大和の目が泳ぐ。三月は両手を大和の頬に添え、にっこりと微笑みかけた。
「運転ありがとな。大和さんが楽しみにしてたこと、全部してやるから」
 三月の唇が、大和の額に押し当てられ、ちゅ、と愛らしい音を立てる。その唇が今度は鼻先にキスを落として、大和の目を見つめた。
 待ちきれない、という声が、三月の目から聞こえてくるようだった。大和が何も言えないまま眉間にしわを寄せても、お構いなしに三月は大和のTシャツに手を差し入れた。抱き着くような形で背中に手を回され、大和は身をこわばらせる。
「てことで、バンザイ!」
ぐい、とそのままシャツをたくし上げられ、言われるがままに大和は両腕を上げた。脇や背中にかいた汗の匂いが、むっと広がる。三月はシャツを脱がせる手を大和の腕の半ばで止めて、大和の反った胸に口づけた。
「おい、風呂行くんだろ」
「ん……いいにおいするなって」
「バカ」
 湿った汗の匂いを揶揄するような発言。中途半端に着たままだったシャツをもぞもぞと脱ぎ、大和は三月をにらむ。
のしかかって来ていた三月の向こうに、広い窓。まだ昼間の日差しがカーテンの隙間から差し込んで、さわやかな秋晴れに室咲きの白い花が照らされる。紫苑だろうか、細長い花びらがはらりと一枚落ちるのを見届けて、大和は体を起こした。
 ベッドの端に腰かけて、下着とズボンを一緒くたに掴む。
「ミツも、さっさと下脱げよ」
 脱ぎながら立ち上がると、さっき人の重みに凹んだばかりの掛け布団が、やや厚みを取り戻した。
「大和さんが脱がせてよ」
「先行くわ」
「えー」
 全てを脱ぎ捨てた大和が窓に近づくと、誘うように紫苑が揺れた。三月も遅れて、大和の隣に並ぶ。からら、と窓を引く音も涼やかに、大和はまぶしい外の空気に触れた。
家族風呂と言うには豪華すぎるような、二人では持て余す大きさの露天風呂が、二人を迎える。三月は再び歓声を上げた。
「でっけー!」
「ほお、こりゃすげえわ」
 つられて大和の声も弾んだが、歓声は、思っていたよりも響かない。風呂の向こう側は川と、人気のない未整備の森。伸びっぱなしの枝や蔦は、かえって趣深い。周りに反射するもののない奥まった場所に風呂はあった。シャワーのついた洗い場の脇には、源泉からの湯の注がれ続ける浴槽。昼間のほのかな暖かさの中にも、湯気が結んで消えていく。
 太陽の下に裸をさらし、大声を上げる解放感。自然と、大和の唇は笑みを作っていた。
「来てよかった」
「おう」
 三月は、大和の微笑みを見上げて頷き、風呂場へばっと駆け出る。
「背中流してやるよ! 座って」
「さすが気が利くじゃん」
「今日の功労者だろ。今夜は尽くすぜ!」
 三月に誘われるがまま、あつらえ向きに二人分ある鏡の前の椅子に湯をかけ、腰を下ろす。
 すらりと姿勢のよい大和の首筋に、日に透けて緑がかった茶髪が触れている。三月はその髪をより分けるようにうなじに触れて、桶で背中に湯をかけた。ボディーソープを手のひらに出し、その手で背中を撫でる。
「かゆいところはございませんか」
「あ~、そこそこ、気持ちいい」
「ここ? 気持ちいい?」
 問いかけながら、三月が手のひらにボディーソープを注ぎ足して、大和の背中に伸ばしていく。指を立てて泡立てる絶妙な洗い心地に、大和はすっかり腑抜けた声で身をゆだねた。
「んあ~、やべ~、あっそこちょっと強めに掻いて」
「おっさんくせえな」
 やはり風呂では眼鏡が曇る、眼鏡を外そうと両手を上げた隙に、ぬめる指を揃えてわきの下を擦られ、大和の体に緊張が走る。
「前は自分で洗うわ。サンキュ、ミツ」
慌てて立ち上がろうとすると、三月の手のひらが、背中から大和を抱きすくめるように前に回される。筋肉の付いた腕に羽交い絞めにされ、足元の湿った風呂場では、下手に動くことが出来ない。
大和が身をこわばらせて出方を伺っていると、三月の両の手のひらが、大和の胸の中心から、ゆっくりと外側へ円を描き始める。
「ちょ、バッ……んふっ」
「ぬるぬる気持ちいいな」
 三月の手のひらが、ボディーソープのぬめりを借りて、大和の胸の突起を転がした。強めに捏ねられる感触に、大和の腿が閉じていく。
「やめ……ん、はぁ……っく」
「きもちいいな?」
 どうしても言わせたいらしい、三月は大和の耳元に口を寄せ、吐息たっぷりにささやいた。三月は大和の胸のかたちを確かめるように、乳輪の周りを指先で撫でていく。鼻から高い息が抜けるのを抑えられない。
「んぅ……っ、は……ふ、っはぁ……」
ぎゅっと目を閉じて身をよじる背中にぴったり寄り添って、三月が指先で大和のあばらをなぞる。胸下に泡を擦り付けるような執拗な指先の動きに、大和はその手を上から押さえた。
「き、もち、わるい……って」
「嘘つき」
 三月が、泡をたっぷりまとった右手をひるがえし、大和の脚の間に差し込む。さっきまで萎びていたそれが形を持ち始めたのを、見逃してはくれない。相変わらず左手は大和の鎖骨や胸をなぞっている。
「やめろって」
 泡まみれの手を追いかけてもう一度上から押さえようとすると、三月が大和のうなじに口づけた。
「大和さんがオレに嘘ついたのがわるい」
「嘘じゃ……」
 三月の手のひらが、大和の胸をわしづかみにするように覆う。嘘じゃない、と主張する語尾は、胸への刺激に驚いて、喉の奥へ引っ込んでしまった。親指の付け根に挟まれた乳首は、もう色を濃くしていた。
「わっあ、ちょ」
「どう?」
 焦る大和の耳の裏に舌を伸ばして、耳に押し付けた唇から、三月が尋ねる。こうなったらもう、応えるしかない。大和の手が、押さえつけようとする動きをやめたのを、三月は目を瞬いて受け止めた。
 三月の親指の腹が、大和の乳首を往復する。胸の先のいちばん感じやすいところを、三月の指は、勿体つけてかすめるばかりだ。
はあ、と大和が震える息を吐く。一拍ぶん閉じられた大和の瞳が再び開いたとき、その表面は濡れて、日差しにきらめいていた。
「気持ち、いい、から」
 消え入りそうなつぶやきに、三月はこめかみへのキスで応じた。そっと、大和を戒めていた三月の腕が離れていく。離れた唇の代わりに、悪戯っぽい声が大和の耳に届いた。
「風呂でする?」
「昼間からはダメだろ。ほら、交代。俺もミツの背中流してやるから」
「はーい」
 三月がとぼけた返事と共に、大和の肩に腕を回して抱きしめた。抱き寄せられた背中に、熱い塊が押し当てられる。三月の中心も、大和と同じように昂り始めていた。大和の頬が、かっと熱くなる。回された腕に手を添えながら、大和はつぶやいた。
「あとでな」
 つむじに鼻をうずめて、三月が頷く気配。離れた体が、大和の隣の椅子に座る。
「ほら、そっち向いて」
「おう」
 何事もなかったみたいに取り繕って並んだ、その三月の腹部や胸に、大和の背から移った泡が残っている。それを洗い落とすように、大和は三月の体に湯をかけた。ばしゃり、と水のはじける音に、気持ちよさそうに、三月の背がまっすぐに伸びる。
「大和さん、ちょっと桶借りていい?」
「ん。今使わないから、どうぞ」
 さっき三月がそうしたように、ボディーソープを手に取りながら、大和は三月に桶を渡した。貯まった湯をこぼさないように受け取って、三月が泡まみれの手を桶の湯に浸ける。
三月が桶でゆすいでいる、その手に触れられていた感覚が、大和の胸に甘いうずきを残す。あとで、の約束への期待にうずくのは、胸だけではない。おそるおそる三月の背すじのくぼみを撫でると、三月はむずがゆそうな表情で大和を振り向いた。
「くすぐってえよ。もっとがしがし洗っていいぜ」
 オレンジの瞳が大和を捉えて、その向こうの青空を映しながら、きらめく。芯の太い、けれど自分よりきゃしゃなつくりのその体を、自分は傷つけないように扱えるだろうか。
「んー、痛くない?」
「痛くない痛くない。大和さんに夢中で背中引っかかれても三日もすりゃ治るくらい、オレは頑丈にできてっから……って痛!」
「おイタしたのはミツ」
「痛きもちいから、今のくらいがいいかも」
「ミツ、Mっ気ないでしょ」
「ちょっと痛いほうが洗われてる感あるだろ」
「食器洗うスポンジも緑の方ばっか使う派?」
 くだらない会話と、背中を擦る手の動きがかみあって、背中に泡が増えていく。三月の背を流してやってから、大和は鏡に向き直った。
 鏡に映るのは、見慣れた自分の体。いつもと変わらないはずの体は、しかし、力が抜けて見える。浴槽から立つ湯気が大和の体を避けて立ち上り、消えた。
手早く体を洗い終えた三月が、後ろを通るのが鏡に映る。三月が湯船の湯に手を浸けるのを、大和は鏡越しに見た。
「大和さんも早く」
「ん」
 応じながら、大和は立ち上がって体を流した。さっきまで猛っていたものも、今が少し太さを失って落ち着いている。体に泡が残っていないのを鏡で確認してから、三月の隣に並んだ。
 どちらからともなく、湯に足を浸した。二人分の波紋が水面に広がり、ぶつかって混ざり合うころには、ふたりの体は熱い湯に飲み込まれていた。ざざ、と溢れた湯が、床に残った泡を押し流す。浴槽の端に体を預けた大和の腕に、三月の後頭部が触れた。
 大和は、湯の中に投げ出された三月の左手に、自分の左手を重ねた。手の甲を触れ合わせて、それから小指で人差し指を掬って、離して、手の甲に手のひらを重ねて、すべての指の間に指をすべりこませて。自分の手のすべてで三月の手を抱きしめる。三月が体を少しずらして、大和の方ににじり寄った。
「ようやく繋げる」
 つぶやく三月の頭を鎖骨に受け止めながら、大和は目を閉じた。一泊二日、明るい場所で、二人きり。こうやって手を繋いでいても、誰に見られることもない。逃避行のような休日に、大和はため息をつく。
 三月の鼻歌が、日差しの中に溶けていくようだった。大和も、その鼻歌に合わせてハミングする。ひとつの湯の中に溶け出してしまいそうな二つの体は、融け合うことなく、ぴったりと寄り添って声を重ねた。

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