【新刊サンプル】ゼロ・アウト 

2 ちゃんとさよなら

「なんだよ、今の態度」
 シンクにカップを置く、静かなにぶい金属音に、少しずつ、頭が冷静さを取り戻す。
 浮いたシャボン玉が水に帰るときの、ぱしゃん、という音にも似ていた。
 まだ酔ってふわふわと浮いたような気分なのに、それだけではいられない、地に足をつけた体が戻ってくる感覚。
 ……大和さん、たぶん。
「拗ねてる……?」
 首をひねってつぶやく。
 あの態度。
 やたらとげとげしいこと言ってきて、当てつけがましく「別に」とか言って、一人になりたがる。
 あの態度には覚えがあった。
 ずいぶん前に、オレたちの目が合ってないとか、ファンの子に気づかれていた、あの頃みたいな……。
「……あのまま放置したらめんどくさそー……」
 伸びをして、うーん、とあえて呟いて、大和さんが拗ねた理由を探す。
 さっきだって普通に、子どもらに構って、その前……飲み会中はあんま覚えてないけど、八乙女や十さんにちょっかいをかけていた気がする。
 こんな筋肉どうやってつけんだとかベタベタ体を触っては、二階堂だって筋力あんだろ、いやこれはファッション筋肉だからとか言って、シャツを捲って……。
「いや、機嫌悪くなんの、この流れならオレの方なんじゃね?」
 酔った体では、頭で思ったことをとどめることなく、するすると口に出してしまう。あんな態度取るか? 嫉妬してます! みたいな、構って! みたいな、丸出しの……。
 横道に逸れた思考を戻そうと、冷たい冷蔵庫に頭を預けて、ふと気づいた。
 もしかして……。
「……大和さんも、明日、仕事ゆるいんだ」
 リビングの入り口の予定表を見れば、オレと大和さんの予定の合う、数時間のオフがあるらしい。こんな時間、昨日までの殺人的なスケジュールを思えば、入っているのはほとんど奇跡だ。
「何で気づかなかったんだろ……」
 いつもの大和さんなら、オフがあるなら喜び勇んで、あの酒開けようとか前の日からラビチャしてくる。
 オレも大和さんの欄を見て、なんとなく誘われそうな時には、いい感じのつまみが作れるような材料を適当に買い込むようにしていた。あとまあ、いろいろ期待して、部屋のローション足りてるか見たり、ゴム買っておいたり……。
 それなのに。
 この予定表を書いたときにも、昨日も、全く気が付かなかった。そのくらい浮かれていて……。
「あー」
 思わず声が出た。
「……オレかあ……」
 天井を仰いで、大和さんが言いたかったことに当たりをつけると、胸のあたりがむず痒くなる。
 酒のせいで暑い体がさらにほてった。シンクに片手をついて、俯く。
「や……はは、かわいすぎじゃんか……」
 唇に手の甲を押し当て、にやけるほおを押さえても、首を掻けば汗をかいていて、ため息をつけば息が震えた。
「オレに気づいて欲しくて拗ねてたんだ」
 居ても立ってもいられず、大和さんの部屋に向かう。
 ドアを薄く開けると、電気は消えていた。大和さんがこちらに背中を向け、横になっている。
 都会は夜でも暗くならない、窓から少し入り込む街灯や月の明かりをたよって、ベッドに近づく。
「起きてる?」
 返事はない。
 大和さんの腰の辺りに膝をつく。ベッドがきしんでも、大和さんは身じろぎしない。
「起きてるだろ」
 耳の後ろを撫でてから、そのからだを抱え込むようにして手をつくと、大和さんがふとんに額を擦り付けるように、背中を向けた。
「オレと話したくない?」
 尋ねてみる。背中は動かない。
「なんか隠してたいこと、あんの?」
「べつに」
 小声がまた、つっけんどんに答えた。不機嫌を隠そうともしない、拗ねた声。隠し事なんかもうできないんだろう、このひとは。オレたちには。
「じゃあ、教えてよ」
「……子供に諭すみたいな言い方、やめろっての」
「あー、たしかに、羽根つきでオレに勝てなくて泣いてた一織にちょっと似てる……」
「泣いてませんけど」
「ふは、寄せんなよ」
 笑うとまた、ベッドがきしんだ。大和さんの手が鬱陶しげにオレの肩を押し退け、起き上がる。
 あぐらをかいて丸めた背中。かしゃかしゃと小さく金属の音がして、眼鏡をかけたらしいとわかる。
「話してくれる?」


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