方舟Ⅰ _暴かれて終わったオレたちの関係について
大きい仕事はすぐに来た。
「映画?」
「はい。その、大和さんに来たオファーが、同性愛を暴かれてイメージが崩れて転落する俳優という役で……監督に挑戦される谷川門さん自ら発案されて、演出までご自身でされたいとのことで、主演ではない役なんですが、かなり主要な役柄で……ぜひ大和さんにと」
「攻めてんなあ。そういう役が来るのも役得でしょ。やるよ、事務所がいいなら。あの人なら間違いなくいい作品になるだろうしな。いま求められてる俺を全力で演じきってやるよ」
「……大和さん、怒ってます?」
「怒ってるよ。だから今は、仕事がしたい」
品定めされた『二階堂大和』を早く脱ぎたい。せいた気持ちで、本音が口をついて出た。マネージャーが、心臓でも貫かれたみたいに、悲しい瞳で動きを止める。
謝りたさも、責めてほしさも、彼女に向けるべきではない。なんでもないふりをして取り繕った。
「なんてな。事務所は大丈夫? 俺がそんな役なんかやって、また週刊誌にでっかく載ったら、事務所の電話対応大変じゃない?」
「それは大丈夫です! スタッフを増員します! 大和さんの妖艶な魅力が好きなファンも多いですから、ますますIDOLiSH7が躍進できるかと!」
「はは。それは頼もしいわ。つーか、もう脚本も貰ってるんでしょ?」
「お察しの通りです……。かなりお話が進んでいて、その、いまの小鳥遊事務所にはこのタイトルは断れないだろうと……」
「そういうことは先に言いなさいよ。事務所のために体張らせてくんなきゃ、立つ瀬ないでしょ」
「……でも」
まだなにか言いたそうなマネージャーから、脚本を受け取って、目を通すふりで言葉を封じる。
求められる二階堂大和を演じることは、簡単だ。俺よりもずっと大きく映し出される、二階堂大和の虚像は、本当の俺を守ってくれる。
けど、演じる二階堂大和になることは、難しい。カメラの前で出し入れできるだけのものがない、ちっぽけな俺を、丸裸にする。……むずかしいことに熱中したい。囚われて、それでいっぱいになってしまおう。
本気で作品のために心を犠牲にして、二階堂大和を限りなく薄めて、全く別の誰かになって。
その果てに鳴らされるカチンコの鋭い音が鳴ってしまうのが、いつも惜しい。役が剥がれていく、二階堂大和に戻ってしまう、僕を返して……。
目を通した役柄は、20歳上の相手との同性愛を暴かれて転落するも、その相手に愛される幸せの中で目標を抱き、新たな出発点に立つ俳優の役。主人公は、その「相手役」のほうだ。50代の俳優がキャスティングされるだろう。
セリフは少なく、目遣いだとか、仕草だとかに、細かなト書きが書き込まれていた。演じて見せろ、お前にできるのかと、挑発するような豪胆さが心地よい、けど繊細で、どこか自分に似た脚本。この脚本で演じる現場は、きっと楽しいだろう。
「いい役だな。楽しみって、谷川さんに言っといて」
他のものになってしまいたい。二階堂大和なんて、どこにもいない、なんでもないものにしてしまいたい。
どこの誰でもない俺になって、ミツ以外の誰かを好きになってしまおう。
俺が恋人を殺しても、無害な誰かを痛めつけても、復讐心を隠して抱きしめても、乱暴に犯しても。寮に帰れば、おかえりと抱きしめてくれる腕。
あの腕はもう、俺のものでは無いのだから。
2.
意外だと言われることは多かった。
──女の子じゃないの。そんなに可愛らしい見た目のくせに、かわいい路線で攻めないんだね。こんなに美味しいケーキが作れるのに、パティシエにならないの。一織くんのほうが弟で、三月くんがお兄ちゃんなんだ。
だから今向けられる言葉も、例えばオレがおじいちゃんになったら、そのひとつとして思い返すんだろう。
──あんな風にファンを裏切って、平気なんだね。
向けられる視線のいくつかに混ざる、和泉三月は薄情だという批判を、それでも笑って受け止める。
逆境にくじけていられるほど、オレたちの日常は甘くない。
「ショートライブ?」
「はい。大掛かりなライブは急な実施が難しいので、ファンミーティング内にライブパートを設けることになったそうです。実施は来月で……今回もマネージャーが演出をしてくださるそうですよ」
息せき切って一織が楽屋に駆け込んできたのは、もう何年も続いている愛なナイトの直前だった。
「急ですが、今日の番組内で告知します。次回番組内で、ファンミーティングの内容を決めます。全員で作れるような内容が望ましいですが……」
「へえ! 面白そうじゃん! ライブもできるの、嬉しいよ!」
飛びつかんばかりに喜んでみせると、弟は、ほっと何かが緩んだような顔をする。怒らせていた相手に許して貰えたみたいな、うまくできなかったケーキだけど喜ばれたみたいな、少しだけ、申し訳なさの混じった、安堵の表情。
お前は何もしくじってないよ、オレは大丈夫だよ、と言ってやりたくなる。
オレたちのあいまいによどんだ空気に割り込むように、壮五が一織の手元をのぞきこんだ。
「歌うのは3曲? 元気の出る曲ばかりだね。Everyday yeahから始まるんだ」
「PARTY TIME TOGETHER! Sakura messageのカップリング曲ですね。ワタシの好きな歌です。ぜひ歌いたいです!」
「THANK YOU FOR YOUR EVERYTHINGも、オレ好き! 懐かしいなあ。ライブで歌うとみんな盛り上がるよね! 昔さ、一織とトロッコ乗っても全然ファンサしないから、オレが全部指差して教えてあげたんだよ」
「別に全部ではないでしょう。私だって必要であればファンサくらい……」
「俺も、タオル回すの、気合い入る。みんな盛りあがってくれっし」
「わかる! 環と壮五さんがぶつかってハグしないやつ!」
「しねえのかよっていうやつな! 大和さんとナギに一織がいじられてんのも面白いよな」
わらわらと一織を囲む。大和さんはどこかで誰かに捕まっているらしい、なかなか戻ってこないリーダーの名前を出すと、陸まで、ほっとしたように顔を弛めた。
陸の安堵は一織よりわかりやすい。壮五が、まずい、と顔に書いてある表情で、眉をひそめる。
みんな動揺している。オレと大和さんのことで、IDOLiSH7の生活が一変したことに。ファンから悲しみの投稿が連投されたり、オレや大和さんが共演者たちから無遠慮に弄られたり……そういうこと以上に、多分、自分たちが壊してしまったと思っている。オレと大和さんが築いていた何かを。
そんなことなんかないのに。オレたちは、メンバーがいたから出会って、信じ合って、お前らのことが大好きで……。
伝えたいけど、伝えられない。オレたちから年下に気持ちを伝えれば、甘えてしまう気がした。年下がオレたちのために頑張りすぎて、すり減っていくのは、見たくない。
TRIGGERのために無茶をしていた陸に、九条が苦しんだのと、多分同じだ。
オレは、お前らに守られたくない。お前らを守りたいんだよ。
環が、椅子の背を腿で挟んで、壮五の手の書類を覗き込む。
「企画のとこ、俺らで決めていーの」
「そうですよ。全員で何かを作り上げる姿は、私たちらしいですから」
「俺、運動会やりたい。りっくんおぶったいおりんと、そーちゃんおぶった俺と、ナギっちとみっきーおぶったヤマさんで競争する」
「マジかよ、大和さん腰大丈夫かあ?」
「二階堂さん、ああ見えて意外に筋肉質なんですけどね。虚仮威しの筋肉だから俺をこき使うなと言っていました」
「オレも筋肉あるよ!」
「七瀬さんこそ虚仮威しじゃないですか」
「なんだと?! 一織こそ、ぷにぷにのくせに!」
「ちょっ、やめてください! 服をまくらないで! ちゃんと筋肉つけてますから!」
「僕はおぶわれる側じゃなきゃダメかな?」
「俺の体重で乗ったら、そーちゃん潰れんぞ……」
あっという間に賑わう楽屋に、肩を竦める。この空気を守りたい。オレも、きっと大和さんも、マネージャーも、ナギたちだって、たぶんファンのみんなだって、同じ気持ちだ。
だからオレは落ち込まない。前向いてがむしゃらにやるしかない。笑って話し続けてやるって、決めたんだ。
拳を握りしめると、いつもより手のひらが熱かった。
「あはは、みんな待ちきれないよな。今日のトーク、この話に出来ないかスタッフさんに掛け合ってみるよ。待ってろ、オレが……」
「ミツキ。ワタシも行きます」
「……オレとナギで行ってくるから」
オレを一人にしたくないのか、ナギだけが楽しい空気に残りたくないのか。ナギが袖をひいて、微笑んだ。微笑み返すと、かすかに胸が痛む。
マネージャーが増やしてくれた、7人の仕事。7人で歌う場所。その曲をくれたナギの友人は、大変な状況をナギに黙って、いなくなった。もうそんな思いを、こいつにさせたくなかった。
ナギに一番に謝りたい。オレたち二人のことを、心から慕ってくれる、オレたち二人の大切なユニットメンバーなのに。隠し事をして、オレたちの苦しみに同調させて、悲しませて……。
けど、巻き込んでごめんな、とオレたちが謝れば、こいつは余計にしょげるだろう。
楽屋の外に歩み出す間も、ナギはオレの袖を離さなかった。
「今日の晩飯、全員で食えそうだし、大皿料理にしようと思っててさ。ナギは、何が食いたい?」
「皆でギョウザを作るのはどうでしょう?」
「ギョウザいいな! ずっと昔、TRIGGERも呼んでパーティーしたっけ。オレ1人で作んなくて済んで、すげー楽だよ。でも今日の収録、盛り上がって押しそうだし、その後でメシ作るとなると、みんな疲れちまうかな……」
「Hm……では、ミツキの日に食べる、カラフルな食事は?」
「オレの日のカラフルな飯? なぞなぞ?」
「ミツの誕生日のってことだろ」
ぬ、と、ナギの後ろから、大和さんが顔を出す。誰かとの打ち合わせを終えたんだろう、ナギの肩に肩をぶつけるほど近くに体を寄せて、けど、オレとナギの間には割り込まなかった。
大和さんの、ふれたいくせに一歩引く癖は、昔からだ。というより、昔に戻ったみたいだった。
それでも最近は、メンバーの体に、べったりと触れてくることが多かった。肩を組んだり頭を撫でたり、露骨に触れてくるのは、甘えられたり頼られたりしているみたいで、嬉しかった。それなのに。
ナギにも、大和さんにも、割り切れない気持ちが芽生え、ぎゅっと目を閉じる。……切り替えなきゃ。
「3月3日、プリンセスの日ですね」
「そう言われると複雑なんだけど。もうそういう歳でもねえし……ああ、ちらし寿司?」
「イエス! 卵、エビ、さやえんどう、……青や紫も足せますか?」
「マッドな料理にすんなよ。うーん、じゃあデザートなんか考えるかあ?」
「あ、ミツ、さっき会った人にマカロンもらった。これでいいじゃん」
「お! 大和さんナイス!」
楽屋から移動するだけの数十メートルの距離にも、何人かの人とすれ違い、オレたちが挨拶するたびに、どこか気まずげな視線を向けられる。すれ違いざま、オレと大和さんに向けてか、くすくすと含みのある笑いを聞かされて、ナギの空気がピリついた。
「こらこら。オレは大丈夫だって」
「……ミツキ」
「おまえらと仕事できて、ファンにいい報告もできて、このあとはみんなでうまい飯だぜ? 嫌なわけないじゃん!」
「……抱きしめても?」
「いつも急に抱きしめるだろ?」
「ミツキ! ヤマト!」
「うおっ、俺もかよ」
ナギの怒りは、オレたちへの愛情の証。そのことは嬉しいけど、喜べない。
オレと大和さんを一緒くたにかき抱く、熱い腕を支えてやりたいのに、支えられているのはオレたちの方だった。
もどかしい。
「……ほら、早く行こうぜ。急な変更なんだから」
「変更って?」
「ああ、あのさ……」
ナギを引き剥がしきれないままで、大和さんの問いかけに答えながら、なぜか、どこか息苦しく感じる。
したいことができないのも、ゴールがないかもしれないことも、オレは慣れているはずなのに。
辛くても苦しくても、仲間となら乗り越えることを知って、いつの間にか、弱くなったのかもしれない。
お疲れ様です、声を張ると、スタッフさんたちが振り返る。
オレたち三人の、くちゃくちゃにもつれあった姿を見て、スタッフさんの顔がほころんだ。
また、胸の真ん中がキュッと軋む。
ごめんなさい。謝りたい気持ちの分だけ、オレは、頑張らないといけない。