32SS 

◆As your ballad

「へえ、ここで働いてたんだ」
「そーそ。もうさすがに当時のバイト誰もいないっぽいけどな……二〇五だって。行こ」
「ん」
カラフルな内装に、誰かの歌声が響くカラオケボックス。先を歩く大和さんの後ろできょろきょろとあたりを見渡す。
「そういえば、昔務めてた時の店長さんとラビチャしたんだったっけ」
「誕生日にな。あの頃すげえ良くしてもらった人。副店長と結婚してたのはビビったけど」
「仲良くしてたんだろ?飯作りに行ってたとか聞いたよ」
「ま、俺の下宿ろくなもんじゃなかったし、綺麗な部屋で過ごせるなら病人の看病くらい安いって……ほい、到着。ごゆっくりどうぞ」
「あんたも入るんだろ!」
大和さんは、アルバイトをしていた当時に戻ったみたいに、ふわふわと楽しげな声でおちゃらけてみせる。通された部屋では、画面の中の歌手やアイドルがお決まりのあいさつとともにオレたちを迎えた。カラオケにお越しの皆さんこんにちは、って、言う側になった時はドキドキしたな。その時、この人がカラオケでバイトしてたって話聞いたんだっけ。
繁華街のカラオケボックス、ろくな客が来ない時間帯もあっただろう。そんなとき、背も高くて度胸もあるこの人は、たくさん頼られて……当時はきっと、女の子にももてたんだろうな。大和さん目当てのお客さんとか、いた?
「ミツ? どした。曲入れろよ」
革張りの椅子に腰掛けた大和さんが、デンモクを手に見上げてくる。部屋に入るなり立ち尽くしたままだったことに気づいて、オレも腰を下ろした。
真昼間の客の少ないカラオケ、二人には広い部屋の、大和さんの隣に。
大和さんが戸惑ったように身を引いた。
「……一応、監視カメラあるから。多分見られてる」
「ん……」
「どうしたのよ。甘えたい?」
大和さんが心配そうにオレの膝に手を乗せる。その肩にこつんと額をぶつけて、呟いた。
「オレの知らねー大和さんがいるんだって思ったら……ちょっと寂しくなったかも」
「……なら、二人になれるとこ、行くか?」
「え?」
画面が目まぐるしく変わり、ヒットソングのサビをがなり立てる。大和さんが声を潜めて喋るから、よく聞こえなくて、耳をちかづけた。
「この時間、三階、客通さないから。三階のトイレとか、穴場なんだよ」
低い囁き。
穴場、って。
「……はは、いいよ、気遣わなくて。オレ飲み物取ってくる。大和さん、なんか曲入れといて」
「なんかって何よ」
「アイドルソングならオレなんでも歌えるから! 最近のヒットソングも大体は。よろしく!」
早口に告げ、重い扉を押し開けると、ぬるい風が頬を撫でて、室内に響いていた音楽が体から剥がれ落ちるみたいに遠のいた。
ドアを閉め、ゆっくりと歩き出す。
「やっぱ、モテたんだ」
ああいう誘い方で、女の子と、穴場とやらで二人きりになったりしたのかな。
手は繋いだ? 体も触り合った? どんなやり方でキスしたんだろ。あの低い声でなんて囁いたの? 大和さん、男はオレと付き合ったのが初めてっぽいけど、女の子のことは、聞いたことないし。
ラックに伏せられた空のグラスを二つ持ち上げ、緑茶とオレンジジュースのボタンを順番に押す。
筐体の中でドリンクを吸い上げる音がして、やがて機械の口から、どばどばと色のついた液体が吐き出されてきた。
「……オレ、嫌なやつだな……」
濁った色の飲み物が透明なグラスに満ちていく。
しゃがみこんで、ため息をついた。

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