32SS
◆こっちを向いて
【恋に落ちる】
いおりんこっち向いて。
うわっ、何するんですか!
あはは、一織ふわふわ!
ワタシもダンデライオン吹きます!
僕も吹いてみていいかな。
こらお前ら、人に向けてやるなよ。
「公園ごときに、そんなにはしゃげるもんかね」
響き渡る楽しげな声に、腕を広げてベンチにもたれながら聴き入る。
買ってきてやったしゃぼん玉は、俺に向かって吹くやつが六人いたので没収したが、今度は懲りずにたんぽぽの綿毛を吹いているらしい。
春の陽気に、ついついまぶたが降りてくる。微睡みはじめたとき、向こうで、次あっちでジャングルジムな、あれジャングルジムって言うんだね、なんて、MEZZO”くんたちの呑気な声が聞こえて、ばたばたと駆け出す大勢の足音もする。
ぽかぽかとあたたかな公園には、噴水の音ばかりが響いて、あいつらはどこかへ行ったらしい。置いていかれたようだが、目を開けようという気にはならない。
呑気な休日の昼寝を手放してまでついて行かなくても、ミツやソウもいるしな……。
ふと、まぶたの裏の明るい血の色が、暗く翳る。ざかざかと砂を蹴る足音が近づいて、俺の前に立ったらしい。
この無遠慮な足音は、きっとあいつだ。年下についててやんなかったのかよ。
「おーい……寝てんの?」
その手が、やっぱり遠慮なく、俺の額にかかる髪を撫でる。
「はは、あんた、髪の色暗いから、頭だけすげえ熱くなってるな」
そう声をかけてくるやつの、太陽の色をした髪や瞳を見たくなって、ゆっくりとまぶたを押し上げる。
やさしく撫でてくれる手の感触で目覚めることが心地いい。
そいつは、俺の見たかった通りの顔で破顔して、俺の髪をガシガシとかき混ぜた。そいつの髪を透かして、日の光が頬に落ちてくる。
「ほら起きろ! ……おはよ。みんな先に行ったぜ。ここで寝て待ってる?」
太陽の光を受けて輝く、くりくりのオレンジの瞳に覗きこまれた。
じっくりと俺を見つめる大きな目。きらきらとまばゆくて、目が離せない。いつか、誰かのためにと、似合わない汗を輝かせていた人を思い出す。美しいその人のかいている汗を、羨ましい、と思ったことを。
いま俺が、その人のように汗をかきたいと思う理由になった男は、ん? と首を傾げて俺を見つめている。どくんと胸が大きく動いた。
「いや、起き、マス」
「うはは、何、反省してんの? 別に怒ってねえよ」
眩しい男が、底抜けに笑う。春の潤んだ空気にからりと響いた声に、うん、と小さく頷いて、目を逸らした。
「ほら行こうぜ!」
俺を撫でていた男の手が離れていくのを、名残惜しい、と、掴みたい、と思った。
その手に手を伸ばすことは出来ずに。
「はいはい」
両手をポケットに押し込んで立ち上がる。立ち上がると視線の高さが合わず、もう目は合わない。
隣を歩み出す男に、ちらりと視線を向けた。
「あ、大和さん、しゃぼん玉、忘れてる」
「ああ、ミツ持っといてよ」
「またあんたに吹いていいの?」
「やめろ」
やめろ、なんて言いながら、べつにやめなくたっていい、と思っている。こいつといると、本当にしたいことやしてほしいことを、言ってしまいたくなる。こいつは、俺が何を言っても、ちゃんと聞いてくれるから。
「参るわ」
「うん? 何が?」
やっぱり聞き逃して貰えなかった独り言を、苦笑してやりすごした。
「ほら、行くんでしょ」
「おう!」
ミツがベンチからしゃぼん玉の入ったビニール袋を取り上げて、また隣に並ぶ。
ふう、と息を吹く音がして、オーロラ色に揺れる沢山の球体が、視界の端を飛び出していく。
「あ! 三月、いいな!」
向こうから、明るい叫び声。ミツが笑って大声を返す。
「お前らもやるかー?」
「お兄さんにもやらせてよ」
「あはは、やりたかったんじゃん」
ミツが、口をつけていた吹き口を差し出そうとするのを、ビニール袋の中に手を突っ込んで、違う吹き口を手に取った。
そいつが唇をつけたものに、口をつけるのが、気恥ずかしいなんて思い。これまでは抱かなかった。
参ったなあ。告げられない思いを、シャボン液に吹き込める。俺に背を向けて、リクやタマに吹き口を差し出すミツの背に、ふう、と小さく吐息した。
とろりと張ったシャボン液が、膨らんで、丸くちぎれて宙にたゆたう。
風が、幾多の球を舞いあげて、空に弾けさせていった。