方舟Ⅱ_恋に落ちるテンカウント

「で、毎日毎日好き好き好き好き好き………」
「5回も言ったっけ?」
「言った。今日で五回目な」
なんでもないことみたいに、表情ひとつ変えず、大和さんは手元の台本に視線を落としている。どうせ、酒を飲みながら仕事をする気なんかないくせに。
深夜のリビングで、昨夜の宴会の残りの唐揚げをつまみながら、特にすることもないのに、なぜだか二人で過ごす時間……ここ1ヶ月、避けられている間は、こんなふうに過ごせなかった。缶ビールを口に運び、チラリと大和さんを見上げた。
「でも何回言っても、告白の返事してくんないじゃん」
「したでしょ。そういうのは別にいいって」
「断るならきっぱり断れよ。オレのこと好きじゃないとかさ」
「はいはい。ほら、またスマホ鳴ってんぞ。昨日の主役にみんな話しかけたいってよ」
「オレは大和さんと話したいんだけど」
バイブ音を聞きつけて、しめたとばかりに、大和さんが会話を終わらせる。誕生日を祝うメッセージに返信を打ちながら、腑に落ちない気持ちに、唇が尖った。
台本を読むふりをして、リビングで、わざわざオレの向かいに座るくせに、告白は適当に交わす。
前みたいに避けはしなくなったけど、別に付き合ってるわけじゃない。オレのこと、どう見ても好きなのに……。
送信、のボタンを押して、今度はサイレントモードに設定してから、スマホを伏せる。
じっと大和さんを見つめると、視線に耐えかねたのか、唐揚げの油に照った唇が、はあ、と息をついた。
「だから……俺はミツにふさわしくないんだって」
「は?」
「いいわけもするし、嘘だってつくし……お前さんのことより、自分の方が大事な、しょうもないやつなんだよ」
大和さんはまだ、台本から顔を上げない。さっきからページは捲られず、ずっと同じ白紙の上に、視線が注がれている。
「こんなふうに誤魔化して、傷つけたいわけじゃないのに……」
大和さんの、乾いた指先が、ちり、とページのふちを擦った。めくらないページの端を、パラパラ漫画みたいに弄んで、また、ため息をつく。
「真っ向から向き合えない逃げ癖も、親父のせいだって思って、……自分の責任じゃないから、俺は傷付かなくていいって……そういう、ずるい生き方が、染み付いてるわけ」
大和さんの視線が、チラリと動く。真っ白い紙ではなく、今度は、自分の爪に注がれた。蛍光灯の白さを少し照り返す、平べったい、親指の爪。それを、隠すみたいに握り込む。
「だから、お前さんとは、付き合っても続きそうにないわ。悪いけど」
「なんだよそれ。オレだってつくよ、嘘。いいわけもするし。いやなやつにキレたり、傷つけてたのに気づかないで、大事なことから逃げてたりした」
立ち上がって、テーブルの向こうへ回り込む。大和さんの台本の白いページに、オレの影が落ちた。
真正面から言葉を尽くしても、大和さんはこちらを見ない。オレの言うことなんか信じられないみたいな反応に、むっとしながら続ける。
「あんたのそれ、逃げ癖じゃないだろ。オレと今話してんだし。むしろ、みんなを守りたい場面だったら、前に立ちたがるしさ」
手を伸ばして、手の甲に触れた。冷たい手の甲。内側はずっと熱いはずなのに。
「聞けよ」
手のひらに触れたくて、強引に引くと、大和さんが台本を畳んで、机に置いた。空いた片手が、顔を覆うように、眼鏡をずり上げる。気まずい時の、お決まりの仕草。
「オレはあんたと付き合いたい。嫌なら、オレの顔見て、ちゃんと言ってみろよ」
ぐっと手を掴んでも、大和さんはこちらを見ない。
顔が見たい。オレを見させたい。どっちかわからない衝動のまま、もう片方の手首を掴む。顔を近づけると、大和さんはさらに顔を逸らした。
無言のまま、そらされるたび顔を追いかけ、あっちへこっちへ首を振っていると、とうとう大和さんが、はああ、と深くため息をつく。
「少女漫画みたいなこと、させんな……」
「……おっさんが少女なわけ?」
「俺が少女なのか……?」
「っ、ふは、何言ってんの?」
掴んだままの手首が、少し熱い。さっきより、頬も赤らんでいる。
告白には答えないくせに、顔を見て断れと言うといやがるひと。
ため息をついて、隣の丸椅子に座った。
「でも、わかったよ。オレたちが進めないのはあんたのせいなんだ?」
「えー、と、まあ、ソウデス……」
「おっけ」
掴んでいた手首を離すと、大和さんはほっと息を吐いた。そのため息の尾を掴んで引きずり寄せるつもりで、次の言葉を続ける。
「じゃあ、ノルマ制にしようぜ」
「……は?」
「オレに悪いなと思うから付き合えねえんだろ? じゃあ、オレに引け目なんかなくなれば良いよ。この野郎、やってやるよ、って気持ちになればいいじゃん」
「……いや、意味わかんないんだけど」
「言い訳にしたらいいよ。それじゃだめ?」
丸椅子の上に片膝を持ち上げて、抱える。大和さんは固まったみたいに動かない。
膝に頬を乗せて、乾いた唇を舐める。
「逃げ癖も、逃げられない状況に置かれ続けたら変わるかもしんないし」
「いや、それが難しいって話を……」
「キスしてよかったら、目瞑って」
「は?」
「っていうノルマ」
「は??」
「オレがあんたといてどんな顔するか、見ててよ。めちゃめちゃ好きだって分かるから」
大和さんが、今度は盛大に嘆息して、テーブルに肘をつく。抱え込んだ頭に顔を近づけて続けた。
「一個ずつ、お互いのお願い叶えてってさ、二人で10個叶えられたら付き合お」
はんぶん。5個ずつな。すらすら言えるのが不思議だった。こんなこと、いつ思いついたのか、自分でもわからない。この人が逃げたくないくせに自分は逃げる男だなんて言うから、分からせてやりたくなった。気づけば、口にしていた。
「どうしても付き合いたくないなら、大和さんが、オレに5個目のお願いしなかったらいいだろ」
「え? は?」
大和さんの腕の間から、上擦った声が漏れてきた。
「少女漫画……?」
「言い過ぎ。はまってんのかよ?」
返事はない。代わりに、ううとか、やあとか、言葉にならない声がする。
頭を抱える手の甲を、指先で、とん、とたたく。
「ってことで、どうですか?」
がくんと、大和さんの首が落ちた。テーブルに額をぶつける大きな音に、大丈夫かよ、と声をあげそうになる。
その前に、大和さんが尋ねた。
「目、瞑った方が、良いってこと……?」
「……聞いたら意味ねーじゃん! あんたがしたいか聞いてんだから」
「そっ、そう言われると瞑れなくない!?」
「めんどくせえな! そんな嫌なら、レモンでも目にかかったことにしろって」
テーブルの上の唐揚げをさして告げると、赤い顔がようやく、チラリとこちらを見る。
思っていたよりもずっと照れくさそうな表情に、少し、息が詰まった。
「嫌なわけじゃ……」
「……っ、じゃあ、いいんだ」
「……あ、その」
体を傾け、近づける。大和さんの瞳がオレを見ずに少しさまよって、オレの胸のあたりへ伏せられた。その瞼がおり切る前に、唇をぶつける。
柔らかい頬に押し返される感触。
「……ごちそうさま」
「………っ!!! ぅ、う、ほっぺたかよ……うおお」
「何その悶絶! あはは、やばい、ウケる」
うなじまで真っ赤にして、大和さんがまた、テーブルに突っ伏した。
「なあ、おっさんからもなんかねえの?」
「なんかって……」
「オレにおねだり。して?」
たっぷり30秒の沈黙のあと。
もう寝る。お前さんも夜更かししないで寝なさい。と、くぐもった声が聞こえた。
今日はこれ以上は無理かな……。
はーい、と返しがてら、真っ赤な耳たぶを指でつまむと、大和さんががばりと体を起こした。
「おまっ、キっ……」
「キスかと思った?」
「……部屋帰れ!」
ぎゃんとわめく汗だくの顔も、必死な仕草も嬉しくて、笑いながら背中を向ける。
浮かれている。胸が、ぽっ、ぽっと、なにか膨らんで開くみたいに昂揚した。
ああ。
あの人、オレのこと、好きなんだなあ……。

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