方舟Ⅱ_恋に落ちるテンカウント
(中略)
4.いちばんおくにさわって
ベッドの上で、すこしうわついた空気におし黙って、息を吐くのにも体が震える。緊張も、興奮も、すべて胸をときめかせた。告白のあとの。想いを確かめ合ったあとの。ばくばくと胸が打つのに、体はちゃんとここにあって、隣の体温に身を委ねたくて、でも触れたくない……室温が5℃は上がった気がする、と愚痴ろうとして、それはそれで恥ずかしいか、と、体の火照りを持て余す。
恋。
好き。
付き合う。
はじめてのいくつもの胸の動きが、高まりが、大和を落ち着かなくさせた。
「……寝ますか、とりあえず」
「え」
「え?」
「もうちょっと一緒にいたい」
「……一緒にいたら、……」
確実に、何かの線を超えてしまう。
咎めようとして、でも口をつぐんだ。その線を超えたかった。今すぐにでも。
誤魔化したくて顔をそらす。枕元に目をやっても、面白いものは特にない。テレビをつけておけばよかった。でも、他の誰の声も、今は聞きたくない。
だまりこんでいると、三月が少しみじろぎして、大和との距離を詰めてきた。
逃げるわけにもいかない。どくんとさっきより強く跳ねた心臓を抑えることもできず、ただ体を強張らせて、三月のちいさな息継ぎを聞く。
三月がつぶやいた。
「またさあ、こういうの、思い出すのかな」
「こういうの?」
問いかけに、三月がするりと大和の手のひらを絡めとった。甘えるようなしぐさが意外で、どくり、と胸が鳴る。こういうの、と言われたことが、わかる気がした。
他のやつには見せない姿を、2人きりのベッドの上で、時折見せることの、どきどきとか。
隣でこうして、肩に額をこすりつけてくる三月のつむじを見下ろすこととか。
手のひらがあたたかいとか。
こういうの。
「……そうだな」
返事を待たず呟く。
顔を上げた三月は、いたずらっぽいしたり顔で、大和の頬をつついた。目の端を少し赤らめて、三日月に緩んだ瞳で、肩に肩をぶつけてくる。
まだ少し遠い、遠慮がちな距離。ぴっとりと寄り添った腕、顔のすぐそばに三月の顔、それでも、まだ足りない。
「いっぱい思い出したいな」
兄が弟にするような、三月の慈愛に満ちた微笑みに、大和の手が動いた。
「俺たちの曲もさ。歌った分だけ、思い出せるじゃん。同じでしょ」
ぐりぐりとその頭を強引に撫でるのも、すっかり、癖になってしまった。いつも、子供扱いすんなよ、と反発してきた、ちいさな拳に兄のプライドを宿した男は、いつの間にか、手の下で、得意げに微笑むようになった。撫でさせてやるよ、みたいな、器の大きな微笑みに、大和の唇がむずむずしはじめる。
くすぐったい。三月といると。二人で、二人の間の空気を暖めあっているようで。おっかなびっくり暖める大和の手を、合ってるよ!と掴んで、足りねえって!と引き寄せられて、身体中で応えてやりたくなる。
「なんて、七五三には難しかったかな〜」
「……はー」
「何そのわざとらしいため息」
「可愛いなあと思ってえ」
「なにが」
「気づいてないのが?」
すり、と、三月の手が、膝の下のシーツを撫でた。指先を滑らせて、大和の腿に、人差し指で軽く触れる。少しつついて、それから、指先が、なにか伝えるように腿をすべった。
あ。
し。
た。
「明日、日帰り温泉、わざわざ部屋予約してんだよ。カーナビも万全だし、帰りはオレが運転したいと思って……」
舌先で、唇を湿らせて続ける。
「2人きり、なんだなって、思ったからさ」
し。
よ。
?。
「子供扱いできなくなる前に、好きなだけ頭撫でてていいぜ?」
指先が離れていく。代わりのように、三月がまた顔を近づけてきた。
三月が唇をとがらせて、上目遣いに見上げる仕草に、いたずら心がふくらんだ。
自分のために緊張したり、喜んだり、恥じらったり、期待したりする、この素直な眼差しは、次はどんな色に変わるんだろう。
見てみたい。
この瞳の中に、俺だけを閉じ込めて、必死に俺を求めるところが。
「大和さん?」
不思議そうな三月の唇に、かすめるだけのキスをする。ん、とかすかな声を上げた三月の体を抱き寄せて、背骨のくぼみを撫でた。
どくどくと、胸の間で打つ鼓動に。少し前に、この部屋で引き倒されたことを思い出す。
腕の中で張り詰めた細い体に、すがるように力を強めた。
「どうした、んだよ……」
三月の声が、低く耳朶をくすぐる。
しっとりと濡れた、声音。何を告げられるか分かっているのだろう、三月が尋ねながら、ごくんと息をのんだ。
息を吸うと、空気が肺に届くまでの通り道がやたらに震えて、大和の喉をぎゅっと締めた。
くらやみに、唇を舐める。
「……あしたまで、待てない、なー……みたいな」
視界が眩しくなって、暗くなって、押し倒されたと分かったのは、背中がベッドに沈んでからだった。照明の眩さに眩んだ目を細めて、逆光にかげる三月の表情に目をこらす。
唇を引き結んで、なんでそんなこと今言うんだよ、と責めるような、嬉しくて堪らなくて困っているような、泣き出したい気持ちを持て余しているような、悩ましい表情。
「……っ、はは、ミツ、おまえさ……、そんな、がっつかなくても、逃げないから……」
思わず腹を抱えて笑うと、唇は明らかに不服そうに弧を描く。その瞳の中に自分だけが収まっているのがおもしろくて、大和は三月の両頬を掌で包んだ。
体を持ち上げて、ふきげんそうに皺の寄った眉間に、唇を押し付ける。
「なあ、ミツ」
「……なに」
やっぱりふきげんそうに、けれどどこか嬉しそうに答える声がむずがゆい。
こんな声なんだ。ミツが、好きな相手に聞かせる声って。他の誰もきっと聞いたことの無い、硬い声音に、胸の奥がぎゅうっと狭まる。
もっとこの声が聞きたい。
この腕の中で、囁かれてみたい。