虹と踊る人

ぼうっと影の方を見ていると、くるくると何かの影が視界にちらついた。影の主の方を見上げれば、それはプールサイドにしゃがんでホースを巻き上げている相方の影だった。
白いシャツに紺のハーフパンツ、高校生みたいな軽装で、汗だくになって青いホースを巻き上げる、20歳の細い腕。
無茶をして酷く痩せていた頃に比べれば、多少は肉がついて見える。それでもまだ、真っ白な腕は日に透けて解けて消えそうで、そんな腕から信じられないほど激しい曲が生み出されることが、へんにむずがゆかった。嬉しいような、誇らしいような、無理しないで欲しいような。背中を押したいけど腕を引きたい、変な気持ち。
「タマキ?何を見ているんですか?」
「おー、ナギっち、見て」
「ソウゴが何か?」
「ホース!あれ使いてー!」
「Oh!いいですね、ソウゴ、ワタシにもそれを貸してください!」
「いいよ。気をつけてね、口のところを強く持つと、水が……うわっ!」
「ジーーザス!!ソウゴ、大丈夫ですか?!」
「あはは、ナギと壮五さん、びっしょり!オレもかけて!」
「ちょっと、セットが崩れますよ」
今日は久々に7人揃っての清涼飲料水のCM撮影で、都内の高校の屋上にあるプールを借りていた。
制服めいた衣装のズボンをまくりあげ、全員で裸足になってプールの底を擦っている。少し年季の入ったビート板や浮き袋がプールサイドの端の棚に並べられていて、たくさんの生徒たちがここで泳ぎ、笑い、卒業して行ったのがわかった。
「……環くん?大丈夫?」
「何が?へーき」
「ならいいんだけど……いつもプリンばかり食べているし、もしかして炭酸が苦手なのかと思ったんだ」
「飲めんよ」
「そっか。君が美味しそうに飲む姿は好感が持てるから、きっと売れるんだろうな」
「そーちゃんも飲めばいいじゃん。酒じゃないなら、いっぱい飲んでいーよ」
クラスの奴らともこんなふーに話してーのにな。
IDOLiSH7の、MEZZO”の四葉環、でいる時間ばかりが長くなって、七人でいるのが幸せなのに、IDOLiSH7の四葉環と思われることが幸せなことに思えなくなる時がある。
クラスメイトとも、理とも、ただの四葉環がいい。ただの四葉環じゃだめなんかな。ただの四葉環は、いらねーのかな。
なんとなく、ビート板の並ぶほうを見つめてしまう環の腕に、とつぜん水しぶきが散る。
「タマキ!」
声がする方を向けば、ナギが環にホースを向けていた。
「やったなー!」
駆けていく環に、壮五がくすくすと笑う。そんな壮五の足元に、今度は大和が水をかけた。その向こうでは陸が転びそうになって、わしわしとプールの底をデッキブラシで擦っていた三月に激突している。
一織が溜息をつきながら、プールサイドに置いていたドリンクを手に取り、一口飲んだ。いくつかのカメラが七人の姿を追って、撮影が進んでいく。
CMは、同じクラスの6人と教員でプールを掃除して、教員の買ってきてくれた炭酸水を飲む、というストーリー仕立てのもの。
大筋や、各場面で映すユニットなどは決まっているらしいが、細かな指定は適宜様子を見て変えていくそうで、ほとんどのことは知らされていない。終始プライベートのようなリラックスした空気の撮影になった。
「ミツ、追加の一本もらった」
「おわっ、バカ、おっさん!投げんなよ!」
「おっさんじゃなくて先生。ほら、お前らも受け取れー」
「取りに行きますから投げないで」
「いおりん、俺のも」
「あ、じゃあオレも!」
「いい身分ですね……二階堂先生、あちらのおふたりはキャッチに自信があるそうですよ」
「ほいよ。しっかり受け取れよー」
「ヤマさん、来い!」
「オレもばっちり受け止めます!」
「お前ら、炭酸なんだから気をつけて開けろよな。壮五ー、ナギー、新しい飲みもん来たぞー」
三月が、ホースで水を流しているナギと壮五を呼びながら、大和の手からドリンクを奪う。大和は片手で、陸と環にドリンクを投げた。
投げ渡された炭酸は、栓を開いた途端に手の中で膨らんだ。瞬く間に肘まで濡らしてしまうそれを、環は半ばかぶるようにして煽った。
喉仏を泡が伝っていくざわつく感覚と、鼻の奥にツンとくる炭酸の味。
「……っあー!うっま!」
「ひと仕事したあとだと、美味しいね」
「ん。そーちゃん、それ、かけて」
「それって……ホースの水?」
「べたべたすっから」
「いいけど……」
遠慮がちな声音と裏腹に、壮五がジャバジャバと環に水を浴びせる。環は楽しそうに大声を上げた。
「そーちゃんが水かけた!」
「君がかけてって言ったんじゃないか!」
「あっ、壮五さん、オレにもかけてください!」
「ではワタシが皆に慈愛の雨を降らせましょう」
「先生そういうのはちょっと専門外かな〜、っつってんでしょ!冷てえな!」
「うはは!逃げんな、おっさん!ナギ、追え!」
「コラ!子供じゃねえんだから、プールサイドで走らない!」
「あんたも走ってんだろ!」
「皆さん、肝心のドリンクが置き去りですけど」
飲み物を飲んでいたはずなのに、いつの間にやら追いかけっこになっていた。
一織がペットボトルを拾い集めて並べ、べたべたのボトルに「四葉さん」と書き込む。
「それ、いいね」
「……逢坂さんも、ペン、使いますか?」
「ありがとう。なら、僕は一織くんのに名前を書こうかな」
壮五が、一織くん、と書き込んでペンを返す。と、一織の手から、今度は大和がペンを抜き取った。
「ならお兄さんはソウの書いてやろうかな」
「ふふ、ありがとうございます」
「あ!楽しそうなことしてる!何してるんですか?」
「何しているのか分からないのに楽しそうなんですか」
「みんないるんだもん、楽しそうじゃん!」
駆け寄ってきた陸に、大和がペンを渡してやる。三月と環、ナギも、集まった四人に気づいて、近づいてきた。着せられた制服の衣装は、もうかなりぐっしょり濡れて、重そうに体に張り付いている。
「名前書いてたんだよ。イチがタマの書いて、ソウがイチの書いて、俺がソウの書いたとこ」
「じゃあオレ、大和さんの書きます!あっ、大和先生?」
「一人だけ先生じゃ寂しいだろー、オレがおっさんって書いといてやるよ!」
「ミツキはワタシが書きます」
「じゃあナギのはオレが書くな!」
「俺、りっくんの名前書いたらいい?」
四葉さん、一織くん、ソウ、おっさん、ミツキ、ナギ、りっくん。それぞれ違う筆跡で書かれた7本のペットボトルを、お互いに持ち主に渡していく。円に並んだ7人の間を入れ替わっていく、濡れた腕とペットボトルが、日差しの下にきらめいた。
環がふふんと鼻を鳴らす。
「みんなでいると楽しいな」
環のよく通る地声に引き寄せられるみたいに、いっせいに全員が顔を合わせた。
だな、そうですね、と、各々の同意の声が青空の下に重なる。
こんな時間が、ずっと続けばいい。誰も口にはしなかったけど、同じ願いが、七人の胸に沸き起こる。
誰からともなく、キャップを外してドリンクを飲み、髪やシャツを風に巻き上げられるまま空を見上げた。陽の光にペットボトルを透かして見て、環が、にっと笑う。
がばりと、落ちていたホースを手に取って、環が踊るように手を空へ突き上げた。晴天の空から飛沫が降り注ぐ。抜けるような水色の空の下で、環は水を散らして、くるくると踊った。
人気になった。ずっと探していた妹を見つけた。
たまに、ファンに傷つけられる。
クラスメイトと、こんなふうに話せなくなった。
大好きで、憧れて、負けたくない、最高の仲間を手に入れた。
たまに、メンバーを傷つける。喧嘩してしまう。けど、みんな環がいいと言う。
夢を一緒に叶えてやりたい、応援してやりたい、唯一の相方がそばにいる。
環を見ていると言ってくれる。
これでいい。
俺はただの四葉環じゃない、IDOLiSH7の四葉環だけど、それもあわせて、ただの四葉環ができてる。んだと、思う。
ホースを振り回すと、水がみんなの方にも飛んだ。
「わー!濡れるー!」
陸が楽しげに笑う。一織も仕方なさそうに陸のドリンクを受け取り、プールサイドに置き直した。大和と三月と壮五はプールの縁に腰掛けて、ナギが嬉しそうに大きな身振りで空を指す。
指の先に、彼らを示す七色が、丸く弧を描いていた。

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