フォワ・ドリーミー

【ピタゴラ】フォワ・ドリーミー

遊園地から帰るピタゴラの話。


「ヤマト?ヤマト、聞いていますか」
ゆさゆさと体を揺さぶってくる大きな手。雪国育ちの、やたら体温の高い手は、いつも遠慮がない。逃がすまいと投げかけられるいくつもの言葉に、冷たく接した時もあったのに、その男は、変わらず大和に甘えてくる。
王子様だからか、弟だからか、ナギだからか……全部だろうな。固く閉じてしまった瞼はもう開きそうにない、まどろみに身を委ねて、大和はナギの呼び掛けを聞き流した。
「ナギ。寝かしてやりな。いっぱいはしゃいだから疲れたんだろ」
体の反対側から、今度はがっしりとした手が、大和の腕に載せられる。穏やかに教え諭す声から、かんたんに顔つきが想像できた。子供を抱いてやる父のような、和やかで泰然とした表情。そんな顔を向けられて、とまどいを覚えなくなったのは、いつからだろう。
はしゃいだって何だよ。遊園地だーっつってはしゃいで散々人を連れ回したのはお前らだろ……言い返してやりたい気持ちがちらりとだけ胸に掠めた気もするが、眠気にすっかり体を捕らえられた大和には、口を開く気力は残っていない。がたんごとんと不規則に体を揺する電車のリズムも、少し固めの布張りの椅子も、両側から大和を包むあたたかな気配も、大和の眠気を加速させた。
「ではその間ワタシがミツキを独占しましょう。ゴージャスな旅の終わりですね」
大和の体の上で、ふたつの手が繋がりあって、大和を腕の中に閉じこめる。
「おまえなあ。美形のウインク独り占めして、贅沢なのはオレの方だって……」
呆れたような、三月の嬉しげな声に、ナギがまた言葉を返して、二人の声がリズミカルに飛び交う。丸一日とはいかなかったが、昼で仕事を終わらせて、約束通りに遊園地に集合して三人で過ごし……二人も浮かれているのだろう、弾む声音は、昼からいままでちっとも変わらない。
心地の良い疲れと温もり。まなうらの、血の透ける紅さを帯びた闇が、大和を優しく底へ引きずる。
遊園地なんて、あいつとは行ったこともなかった……まぶたの裏に結んだ、和服姿の髭面が、気付かぬうちに三月の姿になって、似合わない髭に笑っていたら、毛足の長い大型犬にリードを引かれて転ばされた。オレンジの帽子の小さなハムスターが、大型犬の背に乗って、あっちへあっちへと行き先を指示する。おい、おまえさん道わかってんのか、すぐ迷うくせに……。
「ヤマト、起きてください」
バッと目の前に開けた景色、そのど真ん中、超至近距離に、いつまで経っても見慣れないほどの美形。
「うおわっ、あっ!痛ッ!」
慌てて頭を引くと、ガインと硬いガラスに跳ね返された。後頭部を押さえて俯きながら、辺りに視線を走らせる。
何人もの人がガヤガヤと電車を降りている。さっきまで何かふわふわした場所でふわふわしたものと戯れ、もとい遊ばれていたような気がするが……。そういえば、遊園地の帰りの電車に乗っていたところだった。何か夢を見ていたらしい。
「はは。おっさん、窓壊すなよ。ほら乗り換えるぞ、こっちこっち」
いつの間にやら大和のリュックを担いで、淡いオレンジの髪がぐんぐんと人混みを進んでいく。乗り換えのターミナル駅に着いたところらしい。
ああ、とか、うん、とか、まだ寝ぼけたような返事を返して、小さな案内人に着いて歩く。右に曲がり、左に曲がり、やがて人はまばらになって……。
「ミツ。迷ったろ」
「……こっちっぽい気がする!」
「あーもうミツについてくとこうなるんだったわ……案内図見に行くぞ」
なおも、行先の知れない案内を続けようとする三月からリュックをうばい、大和はついさっき目に入った柱の地図へ引き返す。
目線の高さに、やけに緩んだ表情。
「ナギは何楽しそうにしてんの」
「レジャーランドを出ましたが、ワタシたちの冒険は続いていますね」
「はいはい。お家に帰るまでが遠足な。じゃあ行くぞー」
先に立って歩くと、スニーカーの軽い足音と、やたらと高そうな革靴の音が、右と左についてくる。
「ったく、父親の気分だわ……」
小さく吐いた毒が、誰よりも自分に効く甘い毒だと自覚しながら、大和の頬はかすかに緩む。
呟きが聞こえたのか、聞こえなかったのか、三月とナギは足音を弾ませ、大和の隣を歩いていた。

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