あしたの虹の夢

心地よい疲れと微睡み。アルコールに火照った体をベッドに沈めて、あれほどおさめがたかった興奮を、またいつか味わう夢の記憶に遠ざける。
ライブが終わった。そのあとはメンバーとの打ち上げ。今日のリクは絶好調だったとか、ソウのジョークのキレが良かったとか、イチとタマのじゃれあいがウケていたとか、そういう言葉は、今日まで何度も同じ言葉を繰り返しているはずなのに、尽きることがない。1回1回、違う景色を味わって、その度に新しくなって沸き起こってくる。
「……気持ちよかった」
呟いて、自分らしくないかもしれない、と唇にふれる。ミツとナギと初めて披露したユニット曲に感激したことを、真っ直ぐには言いかねて、酒を飲みすぎたせいか。
それとも、いつか見た夢だったかもしれないものが、いまここにあることに気づいたせいか。
頬に降る星の輝き。いくつも降り注ぐ照明。ペンライトの光。自分の汗。まどろみに、新曲の歌詞を連想する。
望んでいた正夢、なんて歌詞は、おぞましいほど、俺の内側にしっくりと居座った。7人のための、7人でいるための、聴いてくれる人のための、これから歌う誰かのための。そんな途方もない一生懸命を、必死になって、汗だくで歌った。
「Time wouldn’t stop……」
最悪な過去の自分を、それでも連れていくしかないと、押し流される時間に怯えるひとへ告げた。自分が見つけた答えを、すんなり人の前で明かせたことに、あのころの自分なら、驚いて、今の俺を薄っぺらく見積もって笑い飛ばそうとして、そんな自分の惨めさに苦しんだだろう。
いつからか、本音を話すことに、余計な葛藤がいらなくなった。
100年先も歌いたいと歌うことが、怖くなかった。
だって本当に心からそう思っていると、嘘じゃない気持ちを喜べる。
止まらない時の流れを、嬉しい、もっと先へこいつらと行きたいと望める。
……まだ眠れそうにない。
寝返りを打つと、ぱたぱた、と小さな音が、扉の向こうで聞こえた。軽く弾むような足音と、重なるように、控えめにドアの開く音。まだ起きていたのか、細く開いた扉の間に、2人分の影がのぞいた。
「ヤマト……入っても?」
仔犬が飼い主の手を舐めて機嫌を伺うような、断られることはないと知っている問いかけ。
ついさっきすべったばかりの口を開いて、また何か恥ずかしいことを言うかもしれない。起きてるか聞くのが先だろ、と答えるのをやめて、手さぐりで眼鏡を探した。
「って、お前ら、ここで寝る気か?」
俺の仕草に安心してか、部屋に現れた人影は、大きな荷物を両手に抱えていた。掛布団に毛布に枕。お泊まり会の荷物にほかならない。それも、酒を飲むとか、映画を見るとかの目的のない、ただ居るだけの。
「まだちょっと……話すってほどのこともないんだけどさ、寝るっていう感じにもなんないよなって、ナギと話してたんだ」
大和さんも起きてると思って。
今日もすっかり泣きまくった感動屋は、感傷的でやさしい声をしていた。ダメかと訊いてもくれないせいで、断れないまま、二人はミツの掛布団を床に敷いて、ナギの掛布団にくるまった。
「……もう寝るとこだよ」
「では、寝るまでここに居ます」
「寝たら朝までいるでしょうが。ったく……」
「いいじゃん。朝まで……」
ベッドの脇に敷かれた掛布団の上から、ミツがベッドに肘をつく。両腕に頬を預けてまどろむ仕草に、ナギも倣った。
「ペンライト、すっげー、きれいだったな」
一緒に活動してきた間、何度このセリフを聞いただろう。
それでも、ナギは嬉しそうに、声をひそめて笑った。
「レディーたちの笑顔、輝いていました」
うん、といつもよりひくい声で笑い合う二人と、目を合わせて歌った曲を思い出す。
「笑顔じゃない曲もあったな」
呟くと、同じ曲を思い出したのだろう、ミツとナギが顔を見合わせるのが、かすかな夜目で見えた。
3人きりでステージに立って、座って。振り付けもなく、ただ歌うだけの、アイドルなら不安なはずのステージは、でも心安らぐ場所だった。
突き出した拳に、二人の拳が遠く合わさった景色を、きっと、忘れられない。
「みんな、ほっぺた濡らしちゃって……夢みたいだった。俺ら、こんなに愛されてんだなってさ」
つま先が冷たい。布団の中で丸めた足の指を、足の指で包み込む。
ミツが、ごそりとすこし動いた。
「……あんたも泣いてたじゃんか、マイフレンド、歌ってる間」
「泣いてません。……つーかミツ、泣いてる?」
「泣いてねえよ」
「ミツキ、鼻声です」
「う、うるっときただけ……」
ナギが嬉しげに、ミツの頬に手を当てて、涙を拭うような仕草をする。
カーテンの隙間から天井に伸びた、青白い都会の夜の明かりが、この2人に注げばいいのにと思った。
「まあ、俺には二人が一番眩しいよ」
「えー?一日目、リストバンド自分のだけつけてたじゃん」
「2日目はバングルライトつけましたー」
「ミツキ、イオリとワタシとヤマトの色をつけて、カラフルでしたね」
「あはは!欲張りっぽかったかな」
「いいんじゃない、ミツはがっついてる方が」
「ヤマトは何故ワタシとミツキの色ではなく、自分の色を2つつけたのです?」
「や、2つ準備してあったから……」
「ナギと交換すりゃ良かったのに」
「1人余るみたいになるのめんどいじゃん、7人なんだから」
「では次は7つ用意いただくよう、ツムギに伝えましょう」
「オレらで貰いすぎてファンの子に行き渡らなくなんないかな?」
「さすがに7個くらいじゃ大丈夫じゃないの。それより7個もどうやってつけんだよ」
「ヤマトは右足首にして差し上げます。黄金の右足ですよ」
「手につけろっての。ナギサッカーやってないでしょ」
「やれと言われれば出来ますが?」
「さすがの自信だな……」
「今度百さんたちとのフットサル来るか?すっげえ走って暑いけど!」
「汗をかくのは嫌いです……」
話すつもりじゃないと部屋に入ってきたくせに、言葉はとめどない。
偽らなくていい、傷つけてしまうことに怯えなくていい、明日も続いていく平穏で忙しない日常の、つかの間の夢を、いつまでも見ていたい。
夢の中で語らい合うような時間が過ぎていく。
「早く次のライブしたいな。オレ、ウィシュボの歌詞大好きなんだよ。虹をかけようって、次のライブで必ず会えるよって約束してるみたいで……ナギは、ナナツイロが好きなんだっけ。ほんとは消えちゃう虹を、消えないって歌うのが……ナギ?」
「んん……眩しいです……」
「そういや、外明るいな。この部屋の窓西向きだからまだマシだけど」
暗闇に目も慣れた頃、気づけば、部屋の中が少し明るい。
「え?朝?嘘、オレたちそんな喋ってた?」
「ミツキ、何度もワタシ起こしましたね。眠いです……」
「ごめんごめん!盛り上がってる時に寝たら、お前明日拗ねるだろ?」
「拗ねますが、甘やかしてください」
「手がかかるなあ。ごめん、大和さん、ナギ寝そうだから、部屋連れて帰るわ」
ナギはやたらと整った顔立ちに長いまつ毛を下ろして、すっかり眠りにかかっている。上半身をベッドに預けた、学生の居眠りみたいな姿は、王子様にはとても見えない。
「いいよ。寝かしてやっても」
「いいの?」
「まあ、今さら冷たいベッドに入るより、ミツの横で寝る方が疲れも取れんじゃないの」
「それ、オレもここで寝るってこと?」
「つーか俺も眠いから、ナギ運ぶの手伝いたくない……」
「そっちが本音かよ。もー……」
告げた通りに、瞼がもう落ち始めている。指先を動かすのも億劫で、眼鏡を外すことも出来ずにいると、誰かの手が優しくこめかみを撫でて、眼鏡を抜き取った。
「おやすみ」
陽だまりみたいな声に、おやすみ、と返せたかわからないうちに、意識が暗闇へ解けていく。
重だるい体。遠のいていく温もり。シャッとカーテンを開ける音。
「あっ。……虹……」
聞こえた呟きが、夢だったのか、現実だったのかわからない。
夢と現実が混ざる時間は、まだ俺を離してくれないらしい。

  

 

 

※次ページはあとがきです。

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