キスおねだり可愛い選手権【プロローグ】
「キスおねだり可愛い選手権?」
一織の訝しげな声音に、そうですよね、と紡が苦笑いする。
今はリビングに集っての夕食後。ラジオの収録が夜間に及ぶMEZZO”の二人が居ない。
紡のおすそわけのおひたしと、三月のミネストローネやロールキャベツが、ラップをかけられて二人分並べてある。
「はい。こちらの企画書をご覧頂きたいんですが、実は今回のお仕事は、愛ないでも君連れでもやったことのないメディアのお仕事なんです。みなさんのご意向を伺ってからお返事したいなと思って、寮までお仕事の話を持ち込んでしまって、すみません」
「そんなん、寮ぐらしなんだから当然だって!むしろ一緒に決めてくれる方が嬉しい。ありがとな、マネージャー」
食後にと紅茶を出しながら、三月がフォローする。いつもなら一織が手伝いに立ち上がるところだが、陸が一織を呼び止めた。
「一織、これ英語?初めから分かんない」
「SVOD、サブスクリプション・ビデオ・オン・デマンド。定額制動画配信サービスですね。愛ないは事務所のサイトから各回への課金で閲覧出来るので、都度課金制のペイ・パー・ビュー。たとえばラビチューブのような配信サイトは広告収益型のAVODです」
「サブス……?」
「ラビットフリックスってことか。ほら、陸も環といつも見てるだろ?毎月800円とか払えば見放題なやつ」
「ああ!麻薬やりながら料理する番組、環が何度も見てた!」
「そういうスキャンダルにつながりそうな趣味嗜好はあまり持たないで欲しいんですが……」
脱線し始めた三人をさて置き、大和が紡へ話を戻すよう促す。
「MEZZO”の君を連れて逃げちゃい隊はテレビだから配信とは違うわな。そういう理解でOK?マネージャー」
「はい。それで、企画概要なんですが」
と、そこに割り込んできたのは、これまで静かに企画書を読み込んでいたナギだった。
「イヤです」
「ナギさん?」
「イヤです!何故むさい男にキスをねだらなければならないのですか!?ワタシがキスを贈りたいのはアナタのような美しい女性だけです!助けてくださいツムギ……」
「はいはいナギステイ。マネージャー、悪いけど冷蔵庫から、シュークリーム取ってきてくんねえかな」
「はい!三月さんの手作りですか?今度ぜひ作り方を教えてください」
「んー、わりと手の感覚で判断してるとこあるから、八乙女に教えたときけっこう難しかったんだよな。一緒に勉強しよ!」
ナギをあしらいスイーツの話に花を咲かせ出す、三月と紡。アイドリッシュセブンはマネージャーまでこうだから、と呆れた顔で、一織が企画書から顔を上げた。
「キスおねだり可愛い選手権、なるほど、わかりました。つまり、私たちがメンバーの誰かを恋人と仮定してキスをねだり、実際にキスをさせた数を競って『最も可愛いおねだりができるメンバー』を決定するという趣旨ですね」
「はい。1人2分の尺が各メンバーに与えられます。誰が勝つか予想するコメントパートと、42通りのおねだりVTRを、キスする側のメンバーごとに配信する形になります。軌道に乗ればゲストをお招きして全10回程度でやりたいというのが先方の意向です」
「面白そう!俺やりたい!」
「また貴方は短絡的に……」
騒ぎ始めた子どもらをなだめるように、シュークリームに粉糖をまぶしながら、三月が首を傾げる。陸は喜んでシュークリームを手に取り、ひざを粉糖まみれにしてしまった。
「テレビじゃなかなかやんねーけど、ライブとかだと盛り上がればほっぺチューくらいするもんな!別に受けてもいいんじゃねーの?」
「いえ。兄さん、これはすごく難しい問題なんです。ファンは公式でセット売りされている2人組以外のセットを見たくないかもしれません。浮気のようですから」
「確かに、壮五が環そっちのけで一織の世話焼いてたら違和感あるよな。そういうこと?」
「そうです。こういった路線の売り方はアイドルにはつきものではありますが、危険性も高い……」
一織は器用にシュークリームをちぎって食べながら、陸にウエットティッシュを手渡す。
一織の持論に、ナギが紅茶を片手に頷いた。
「Boys-Love、公式と解釈違い、悲劇です。『陸くんはナギくんにはキスしたのに一織くんにキスしなかった』、いおりくファン号泣します。レディーの涙、見たくありません」
「いおりく……?俺一織にキスしたことないし、これからもしないと思うよ?」
「ファンはワタシたちの仲がいいと嬉しいという話ですよ、そこに真偽は必要ないのです」
以前紡が一織と陸に見せたファンサイトは、まさしくいおりくだったのだが、それに勘づいている者は悲しいかな誰もいない。
「俺はアリだと思うな。テレビ的に露出が多いのって、ドラマとかバラエティやってる俺やミツじゃん。そういう女の子をドキドキさせる系もいけんだぜってどっかで見せといてもいーんじゃないの」
「大和さん悪役ばっかりだもんな。逆に大和さんの口説き文句見たいしー、オレは企画賛成かな」
「黙りなさい七五三」
「オレ絶対大和さんにはキスしない自信あるわ」
「別にいらない。てか、シュークリーム俺の分なくね?いじめ?」
「大和さんにはこっち」
「何これ?なんかいい匂いする」
「チーズと黒胡椒とハーブとベーコン練り込んである、おやつシューみたいなやつ。グジェールって言うんだけど、甘くなくて酒に合うから、作ってみた」
「……うまっ、何これうまい。俺いまならミツにキスしてもいい……」
「収録前から買収されんなよ」
大和が嬉嬉としてビールを取りに台所へ向かう。他の面々も味見と言ってひとつずつグジェールを渡され、一織は特に嬉しそうな顔をした。
兄を誇る弟の表情を目ざとく見咎め、陸がいたずらっぽい顔をする。
「そういえば、一織と三月は兄弟だけど、キス抵抗ないの?」
「あー、うーん、そうだなー、キスかあ」
「小学生の頃はしてくれましたね」
「映画の影響でな。母さんが、褒めるときはキスする〜みたいなのにハマって、オレもやらされてた」
「一織からもキスしてたの?」
「いえ。私はしていません」
「犬とか猫とかにはやたらキスしてたけどな」
「違います。じっと見ていたら鼻が触れてしまっただけです」
「ぬいぐるみにも?」
「兄さん」
取り乱す一織の傍らで、これまでの意見を紡がメモにまとめる。
「賛成が大和さん、三月さん、陸さん。反対がナギさん。慎重派が一織さん。割れましたね……」
「MEZZO”のお二人には話したんですか?」
「はい、移動中に少し。壮五さんは『みなさんの意向で構いません。僕らは慣れていますから』、環さんは『おもしろそー』だそうです」
「ソウ闇深くね?」
「キョムを感じます」
「となると、六弥さんが納得すれば企画はGOですね。ネットでの配信であれば、内容のインパクトが重要ですが、幸いキャラクターの強い美形揃いのグループですから、かなりの話題になりそうです。余程メンバーのイメージを崩すような出来事が起きない限り、私は強く反対はしません」
「例えば、どのような出来事ですか?」
「七瀬さんが六弥さんを壁ドンして顎クイするとかです」
「なんでオレなんだよ!いいじゃんナギを壁ドンしても!」
「あとは逢坂さんがチャラついた口説き文句を言っても嫌ですね。ただこれらは収録前に話し合っておけば回避できそうですし、大した問題ではありません」
「分かりました。ありがとうございます。ナギさんはいかがですか?」
訊く前から嫌そうな顔のナギに紡が問いかけると、三月が頬杖をついてナギの顔を覗き込んだ。
「やるよな、ナギ」
「ノー!ミツキ、ワタシの唇はレディーにふさわしい言葉を投げかけ祝福のキスをするためにあります。ヤマト口説くの無理です」
「おーい飛び火やめろー」
「なら、ここなちゃんなら?」
「What?」
「全員ナギ好みに女装してやる。どうだよ」
「……脳が想像を拒否します。ミツキだけが潤いです」
「オレが泥被ってやるっつってんだ!男なら腹くくれ!」
「え、今私たちも女装する流れで話してましたよね」
「一織、線細いし、けっこう似合いそう。環が心配かも」
「乗り気なんですか?」
なんだか混沌とし始めたリビングで、大和がビールを飲み干す。
「じゃ、この仕事、GOで!」
大和の陽気な一声に、紡が顔をほころばせる。
「良かったです!実はこの企画、結構楽しみにしていて。みなさんの歌もダンスももちろんですけど、おひとりおひとりの違った魅力をもっとファンのみなさんにお届けしたかったので」
「なんだ。そういうことは早く言ってくれないと。マネージャーのためならナギも頑張れるだろ?」
「……Yes……ミツキがここな出来るように版元と提携してください……」
「マネージャー、真に受けなくていいからな」
そうと決まれば早速。紡が事務所へ戻ろうとする。
社長にも、と三月に包んでもらったシュークリームを手にリビングを出る紡を追って、陸も階段を降りた。それに続いて一織も降りてくる。
「夜遅くまでお疲れ様。俺たちにできることがあったら言ってね」
「ありがとうございます。こうしてお話ししてくださるのが一番嬉しいです。よく寝て明日に備えてくださいね」
「うん!ありがとう。じゃあ早速お風呂沸かしてくる!」
浴室の方へ陸が駆けていき、玄関には一織と紡二人が残る。
「事務所まで送りましょうか」
「いえ!車で来ましたから。高校生の一織さんが夜に出歩く方が心配です」
「貴女は私をなんだと思っているんですか。まあでも、夜道の運転は気をつけてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
「それと一つだけ。先程の企画、カップリングを想起させる表現は極力避けて、対決形式にするよう提案してください」
「カップリング……?」
「そのまま先方に言えば伝わります。掛ける、ではなく、VS、を使ってほしいと」
「わかりました。お伝えしてみます」
「よろしくお願いします。では、おやすみなさい」
「はい!おやすみなさい」
紡が車に乗り込むのを見届けて、一織が玄関のドアを閉じる。
とんでもない企画が持ち上がったものだ。これがネット配信の洗礼か。
しかし、ゲストとは一体誰なのだろう?こういった色物に乗ってくるのは、よほど全国ネットの露出が欲しいインディーズくらいのものだと思うのだが。
先日憂き目に遭ったトップアイドルの三人組が一織の脳裏に浮かぶ。
まさか。あの人たちは清潔感が売りだ。こんな自爆しかねない企画に乗ってくるものか。
「うわー!」
「ちょっと七瀬さん!?どうしたんですか!」
一織の思考は浴室からの悲鳴に止められる。まあいい。その時になればわかるはずだ。
一織は、浴室から響いてくるなにかがひっくり返るようなガラガラという音に溜息をつき、歩き出した。
次回作はこちら!