【同人誌サンプル】libido

◼️うつくしいおとこ

長い指が、それを撫でた。
くすんだ青に塗られた爪が、はりつめたかたちを確かめて。どうせにんまりと愉しそうな笑みを浮かべているんだろう、とその顔を見たら、予想通りの顔をしていた。
「男の子って、こんなふうになるんだ」
薄い唇が、わざとらしく赤い舌をのぞかせて、ささやく。
「あんたも知ってんだろうが」
脱力して、背中をやわらかなベッドに預けると、その指はその人の服の裾を掴んだ。
「ううん。知らないよ」
がぱりと、Tシャツが捲られる。細くて薄い、その人の折れそうな腰が露になった。
くつろげたジーンズのなかに、下着はなく。
つるんとした肌色の間に、ピンク色の割れ目。
「ね?」
「……えっ」
千さん、と、その人の名前を呼ぼうとしたとき。
がくんと頭が落ちた。
「あっ……」
咄嗟に漏れた声に、ちらりと、タクシーの運転手が視線を投げてくる。
視線をさまよわせても、あるのは隣の席のレジ袋とその中で温くなりつつあるビール、1泊分の下着や必要そうなものを詰めた革のリュックだけ。
あの長い銀髪の人は、どこにもいない。
──午前二時。どうやら、長引いた撮影終わり、タクシーの中でうたた寝をして、とんでもない相手の、とんでもない夢を見たらしい。
登場人物は、ついこの前から付き合い始めた、(酔って手を触っていたらキスされて、すいません、と言ったらもう一度キスされた。今度はディープキスだった。僕のこと好きなんだろ?と言われて、ハイ、と答えるしかできなかった俺は、かけらも悪くないだろう。その人の家から無事で逃げ帰れたあと、あまりの顔の赤さを、起きていたメンバー全員にいじられた。よっぽどあいつを責めてやろうと思ったが、僕とのキスで照れるなんて可愛いね、とか言ってからかわれそうで、その野望はかなわなかった。たぶん一生、あの人にはかなわない。)──年上の、そういえば付き合いますとはお互い言っていない、たぶん恋人。
その翌日、テレビ局で顔を合わせても、会話らしい会話はなく。
おはようございます。
おはよう。……酔ってた。
知ってます。
覚えてるよ。
そうですか。じゃ、また。
そうね。
というやりとりだけ済ませて、お互いの楽屋に戻ってから、「来週泊まりにおいで」とラビチャが来た。
泊まりにおいでと。
ゆうべ、キスなんてかましてきた奴から。
……そういうことですか、と訊くことすらできない。だって、訊いたらそれを望んでいるみたいに、いや望んでいないわけじゃ、というかそもそもなんで俺があの人を好きなんて話になっていて、しかもあの人はいきなりキスなんて、いや年代物のワインにつられてまんまと連日その家に足を踏み入れていたのは俺だが、だからってそれはキスOKですでもあんたが好きですでもないと思う、お陰であれから1週間まんまとろくに寝付けずタクシーの中でうたた寝なんてしてしまって、という話はどうでもよくて。
……やばい夢を、見た。
これから会いに行く男の。
……股間に何も無い、という夢。
悪夢かよ……。
スマホを取り出してラビチャを見ても、『今から行きます』は既読無視。ちょうど1週間前も、全く同じ内容の既読無視のラビチャをされている。その前日も、前々日も。
ほんとに付き合ってんのか。付き合ってる相手を家に誘うってそういうことだろ。
けどあの人、常識ではかれないとこあるしな。
常識ではかれない……から、……ついてないってことだって、もしかしたら……。
勝手にありえない方へ逃避を始める思考を引きずり戻そうと、こっそりと、浅く、長い溜息をつく。
……こんな夢を見るなんて。
あの人が男なのも、分かって、あの時のあの背中を何度も思い返して。
むかついて、乱してやりたくて、憧れた。
その体が、本当は女だったらいいなんて。そんな浅ましい欲求であの人をふみにじろうとする、自分の潜在意識が憎らしかった。
そんな夢を見せたのは、バッグの中にしのばせた、勝手な期待の塊だ。男同士でも必要なもんなのかとわざわざ検索して買った、潤滑剤やら、コンドームやら。女相手じゃないことの手続きの多さに、胸のどこかで、面倒がる気持ちでも芽生えていたのか。
「最悪だな……」
胸の中にとどめようとした言葉は、口に出ていたらしい。ちらりとミラー越しに運転手の視線を受けて、慌てて窓の外に視線を投げた。

*

「しないの?」
もう酔っているらしい先輩に、これ土産です、とぬるいビールをおしつけて。シャワーを借りてリビングに戻ると、その人はソファに俺を誘った。
初めは遠くに座ったのに、もっと近く、と手招きされて、気づけばその膝に手を置いていて。
やっぱりもう寝ます、と告げると、不思議そうに首を傾げられた。
「や、する、って、何を……」
「そんなの、一つだろ。期待して来たんじゃないの」
「そ、……いや、ほら、別に俺たち、付き合ってないでしょ……」
動揺に眼鏡を押し上げて目をそらす。と、視界の端で、切れ長の瞳が退屈そうに細まった。
ハァ、と、わざとらしい吐息。
「じゃあ今付き合おうよ。まだ何かある?」
「まっ、……その、……あんたは俺に……されても、いいんですか」
ソファの上で、長く細い足をその人が組み替える。真っ白いスキニーの真ん中、そこに何も無いわけがないのに、そこを見られず、目を逸らした。
もし、本当に、無かったら……。
ありえない逃避に唇をかむ。千さんは、気だるそうに膝に肘をついて、顎を乗せた。きれいで、誰にも馴れない孤高の存在のように見えるのに、大切なものを壊さないように愛する難しさに、人並みに悩んでいる人。
いくつもの季節を寂しさと向き合って、愛される喜びも苦しみも、俺ではない人と、何度も分かちあってきた人が。
隣に座る俺を、目だけで振り向く。
「毎度毎度、人の家に来る度、熱っぽく見つめてきただろ」
「……そんなつもりは」
「僕が、四つん這いになってリモコンを拾おうとしたら、君は僕のお尻ばかり見てた」
「それは本当に覚えがないです」
「見てたんだよ、君は」
かすかに苛立ったような追及に口をとざす。
と、千さんは、今度はソファに背中を預けて、くたりと白い首をもたげた。
ゆたかな銀髪をソファの後ろにばらつかせて、向こうを見ながら、投げやりにつぶやく。
「……その顔つきが、良かったんだよね」
「え?」
「僕は、別に僕自身に興奮されることに興味はなかったんだけど。君が、そういう顔をするのかと思ったら、意外と、ね」
「意外と、何ですか……」
「もっと見たくてキスしたのに、君、レイプでもされたみたいに帰っちゃうから」
顔も見せずにぽつりぽつりと呟いて、その人の独白は終わる。
しんと、静まり返った空気。この空気はよく知っている。
人をその場に巻き込んで、さあどう返す?と、品定めする──千さんと演じたことがあれば、誰もが触れたことのある空気。
誰も寄せつけないほど美しいのに、意外と親しみやすくて挑戦的で、人間らしい、誰もが惹かれずにいられない、あの──。
ゆっくりと、体を起こす。その人の細い腕が乗った肘置きに手をついて、腕の中に、その人を囲んだ。
その人の膝をまたいで、覆い被さる。
自分の影の中にすっぽりと収まる、細い肢体に、案外しっかりと太く喉仏の浮いた、歌うための首がのびている。
くびすじに、唇を寄せた。
ゆっくりと吸い付いて離す。
どくどくと耳の奥に打つ音が、その人の鼓動であればいいのに。
そのひとの全部が、俺の中にあればいいのに。
「は……」
震える息を吐いて、耳たぶに唇を寄せる。頬に触れる。唇でこめかみを押す。
それから。
目が合えばもう、耐えられなかった。
「ん……っ、んむ……」
「っ、はぁ、ゆきさん……」
薄い唇を夢中で唇にはさんで、何度も吸っては離し、舌をねじ込む。その口腔を犯せ。このひとを俺の手で蕩かせ。なにかに駆り立てられる。
ぬぢゅ、ぢゅる、とうっとうしく鳴る水音を、自分の口で、この人の口が鳴らしていると思うと、全身の血が沸騰しそうだった。
「ゆきさん……ッ」
「っ、ふ……。……っ」
細い手首が俺の横髪を耳にかけてくる。その白さが眩しくて目を細め、塗りつぶすように強引に掴んだ。
両手首をソファに縫い止めて、唇を貪る。初めは声をあげずにいた千さんの喉から、鼻にかかった、ん、という甘い音が聞こえ始めた。
「っは、ぁ、ゆきさ……ん……」
ぴったりと、舌でその人の口を埋め、ぬい止めた肩に肩をぶつけて、昂る中心を擦り付けて──。
「あ」
「何?」
その、白いスキニーに包まれた脚の間に、芯をもったものを感じた。
……勃ってる。
……なんだ、あるんじゃん……。
「や……よかったなと……」
「何、が……」
千さんが、胸を膨らませて、荒く息をつく。
言えば、女の子の方が良かったの、と、またからかいの材料を与えて、形勢を逆転されるんだろう。適当に濁して、俺も呼吸を整える。
知らないうちに、すっかり息が上がっていた。顎の辺りが濡れている。俺に好き勝手唇を蹂躙された千さんは、もっと酷い顔をしていた。
唇はほの赤く腫れ、白い頬はかすかに上気して、べっとりと鼻の下まで唾液に濡らされている。
いつも飄々と整った男の、きっと誰も見たことのない顔。
「……あんたの顔が?」
「よかったんだ」
「俺の顔はどうなんですか」
手を離すと、その人の指が伸びてきて、俺の顎を拭った。
「……ぞくぞくするね」
何度目かしれないキスをしながら、後ろ手にシャツを脱ぎ落とす。慌ただしくその人の前をくつろげる間に、その人の白い手は、俺のベルトに伸びてきた。
長い指が、その下にはりつめたもののかたちをたしかめて。
「大和くんも、男の子だね」
夢のようなことを言うから、その舌に噛み付いてやりたくなった。

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